自転車をペットにする方法

はじめに

 現在は空前のペットブームであるらしく、犬や猫のような代表的なものの他にも、様々な種のペットが、広く人々の手によって愛でられている。しかし、自転車をペットとして飼育し、共に生活している者は極めて少ないばかりか、殆ど皆無であると言える。ペットショップへ行っても、そこで自転車が陳列及び売買されているのは見かけないし、「自転車の飼い方」といった手引書も現在のところ存在していない。
 これは残念なことである。なぜなら、自転車ほど手間のかからないペットはないからだ。加えて、他のどのペットにも持ち得ない特徴が無数に存在するのであり、自転車はそれらのペットとは殆ど別物であると断言してもいいほどであろう。すなわち、自転車をペットにするという行為は、ペット初心者にも推薦できるし、ペット愛好者にとっても未知の刺激となるのである。

準備

 他のどのペットにおいても同様であるように、自転車をペットとして導入する際には、下準備が必要である。しかし、極めて容易である。我々はたったひとつのことをしさえすればよい。すなわち、スペースを確保することである。室外でもよいし、室内でも問題ない。他にどんな器具も装置も必要ない。自転車を置いておくスペースさえ用意できればもはや準備は完璧なのである。
 ただし、自転車というものは極めて寡黙なペットであるので、室外において飼うとなると、我々はその存在を忘れてしまうことにもなりかねない。梅雨明けのある日、劇的にサビついて惨めな様相を呈した一台の自転車を目撃することになってしまうのである。ペットは家族の一員であるという観点から言っても、あるいは、大事なペットをサビから防衛するという意味でも、是非、室内で共通の時間を過ごすことが推薦される。
 アパートやマンションに居住している者においては、手続きがもう一段階ある。大抵の賃貸契約書には、「魚や小動物以外のペットを飼うことは禁止する」、あるいは「魚や小動物以外のペットを飼う際には、家主の許可を得ることを要する」旨が記載されている。自転車は当然に「魚」ではないし、同様に「小動物」であるとも考え難い。ここは一応、家主に電話連絡でも入れて確認しておいたほうがいいだろう。恐らくその際は、次のような交渉が展開されるだろう。
 「あの、訊きたいことがあるんですけど」
 「なんですか」
 「契約書に、魚と小動物以外のペットを買う場合には許可が必要だって書いてありますよね」
 「はい」
 「自転車は飼ってもいいですか」
 「はい?」
 「ですから、自転車を室内で飼ってもいいですかって訊いたんですが」
 「……まあ、いいんじゃないですか」
 これで家主の許可が下りたわけであり、我々には堂々と自転車を部屋に持ち込む権利が生じたのである。

自転車の導入

 いよいよ自転車をペットにする実践段階に到達したわけであるが、導入の仕方には種々ある。
 最も正当で紳士淑女的な方法は、しかるべき店舗において購入してくることである。ここで注意すべきことは、ペットショップに足を運んではいけないことである。前述の通り、ペットショップを血眼になって虱潰しに探したところで、決して見つからないのである。あったとしても、それは客の自転車である。店員に「自転車はありますか」と問うてみても無意味である。親切な店員であれば、近所のホームセンターか自転車屋を教えてくれるが、そこで我々は「ペットショップに自転車は置いていない」ということを、身をもってダイレクトに体験することになる。だが、常識をわきまえた者であれば、そんなことは既に知っている。我が国のペット事情は、自転車を許容するほどにまではまだ発展していないのである。よって、初めからホームセンターか自転車屋に足を運ぶことが、手間を省く意味でも推薦される。
 あるいは、道で見かけた犬を拾ってきて飼ってしまうことが往々にしてあるが、自転車にもそれが当てはまる。すなわち、導入するもうひとつの手段は、拾ってくることである。かなり野蛮であり、非常識であり、野良犬を拾ってきて飼う場合とは違って、窃盗罪もしくは占有離脱物横領罪に問われる可能性も内包しているが、極めて手軽な方法であると言える。
 いずれの方法を採用するかは、完全に個人の判断に委ねられている。

自転車をペットにするメリット

 自転車をペットにする利点のひとつに、給餌が必要ないということがある。エサを買ってくる必要はないし、何を与えればいいのかなどという悩みに直面することも、そもそもない。よって、エサを購入する代金に煩わされることもないし、エサを確保及び保存する煩雑さからも逃れることもできるし、何と言っても、エサを食べないのだからフンの世話をする必要がないということが魅力的である。「フンさえしなければペットを飼ってもいいんだけどなぁ」という者が少なからずいるが、こういう者にとっては朗報以外の何物でもないのである。逆に、「エサをやるのがペットを飼う醍醐味だ」と考える者は、定期的にタイヤに空気でも入れていればいいのだ。
 また、極めて寡黙であるという点も自転車の特徴である。呼びかけても飼い主のほうに寄ってくることは全くないし、鳴き声を披露することもない。かなり無愛想であり、ベルツノガエルなどの比ではないのである。この無愛想さに耐えられる者だけが、自転車をペットにする資格があるという意見もあるが、それは短絡的に過ぎると言っていい。寡黙であるということは、逆に考えれば、飼い主のあらゆる行為及び状態を侵害しないということであり、誰が言ったのかは忘れたが「相手の好きなところだけを見て過ごしなさい。そうすればあなたはその人自身を好きになることができるでしょう」という名言に学べば、自転車の寡黙なことが引き起こす利点だけを見て過ごすことで、「ペットを飼っている」という状態から「ペットを飼わされている」という状態へと常に堕落しがちになる我々において、「ペットを飼う」という行為に対して主体性や積極性が加えられることになる。つまり、恒常的に「ペットを飼っている」という状態を保つことができるのである。これは全てのペット愛好者にとって重要なことであるが、自転車という救いようのないほど無愛想なものをペットにする者にとっては、  特に留意すべき点である。
 また、あらゆるペットには「さらぬ別れ」が訪れるのが宿命だが、自転車は例外である。すなわち、自転車は「死なない」のである。もちろん、生の対極としての死がある点に、生命のドラマティックさがあるのであるが、こうした宿命を排除し、純粋に自転車と共に時間を過ごしたい者にとっては、極めて魅力的なのである。少々に老朽化することは認められるが、死による悲しみは決してないと言えるのである。

自転車とのスキンシップ

 ペットを飼うことの楽しみのひとつに、一緒に遊んだり、スキンシップを図ったりすることが挙げられるが、自転車でもこれは可能である。ただし、自転車のほうからこちらにすり寄ってくる可能性はゼロであるので、こちらから自転車に働きかけることが要請される。こうしない限りは、自転車と戯れ、楽しい時間を過ごすチャンスは訪れないのである。
 自転車と戯れる方法は決して多くはない。恐らく大概の者は、「タイヤを回してみる」ことから始まり、「ハンドルを動かしてみる」ことを経由し、「ブレーキをかけてみる」、「カゴに手を突っ込んでみる」、「サドルにあごを乗せてみる」に行き着き、もはや手段がなくなるのである。上級者では、かなりアクロバティックな戯れをすることを習得することができるであろうが、そこまでする必要はない。ハンドルを動かしたいときにハンドルを動かせばいいのであり、カゴに手を突っ込みたくなったときにそうすればいいのである。それが主体的に自転車をペットにするということなのだ。
 注意すべき点は、いくら自転車と戯れることが淡白な行為だからといって、自転車を分解し始めてはいけないということである。犬を飼う者が、「犬ともっと遊びたい」という気持ちから、犬を解剖することが決してないように、ペットとしての自転車を分解することは、戯れという行為を異次元的に逸脱した暴挙なのである。犬を解剖することが「虐待」に問われるように、ペットとしての自転車を分解することも、それを取り締まる法律が現在のところないにしろ、愛するペットに対する行為とはかけ離れた残虐極まりない行いであるということを、飼い主はしっかりと肝に銘じるべきである。

注意点

 以上のことができれば、自転車をペットにすることは完遂できたと言っていい。極めて容易でありながら、平凡で寂しい毎日が、新鮮なペットライフに変貌するのである。
 そして、最も重要であり、一番に注意すべき点は、そのペットとしての自転車を公道に持ち出し、乗車して移動してはいけないということである。かつてから人類は馬を移動手段としてきたが、その馬はペットなのではなく、ただの移動手段なのである。同様にして、我々がペットとしての自転車に乗って移動した瞬間に、その自転車はペットではなく、ただの移動手段としての物と化すことになる。どうしても自転車に乗って移動したい者は、移動手段としての自転車を別に購入する、あるいは拾ってくることが務めとなる。

応用編

 自転車をペットにすることを応用すれば、自動車をペットにすることもできるし、重建機をペットにすることも可能であるし、航空母艦についても然りである。高所得者が、乗らない高級外車を車庫に何台も収納しているのを見かけることがあるが、それはそれらの高級外車をペットにしているのであるし、必要以上に軍備を整えている軍事国家についても、あらゆる戦闘機、戦車、戦艦などをペットとしていると考えれば納得がいくのである。


スポンサーリンク

inserted by FC2 system