テレビとの会話の仕方

準備・基礎編

 テレビと会話をするためには、まずテレビがなくてはならない。もちろんそれだけでは足りず、電源が入っており、チャンネルが合わせられていて発信されている放送が明瞭に受信できているのがよい。そういった環境が整えられておらず、ただの箱としてのテレビと会話を嗜むこともできないわけではないが、それは極めて病的な様相に傾倒していると言わざるを得ないため、ここでの「テレビとの会話」の意には沿わないのである。
 これから会話をしようとしているテレビは、できれば自分一人で占有できる部屋に設置されているのが望ましい。街頭のビジョンや公共の場に置かれているテレビと会話することも可能だが、周囲の痛ましい視線が集中し、いつもの暖かい街が一瞬にして冷たく変貌する様を体感することとなるので、避けたほうが無難である。また、友人の家でめざましテレビのお天気の人と会話をしていたところ、その友人から「変態」と言われたことがあるという者がいたが、そうならないためには、やはり自室のテレビと会話をするのがよいだろう。ただし、これは個人のプライドの問題であるので、強制できるものではない。単なるアドバイスである。

実践編

 ここからは実践編である。まず始めなければならないのは、会話をする番組の選択だ。現在では様々な番組が各局によって放送されているが、やはり会話をするにあたっての向き不向きも存在する。
 NHKの「映像散歩」と会話をするのが至難の業であるのは誰にでもわかる。この番組はただひたすらに音楽に乗せて映像を映し出しているだけであるので、現実的な「会話」は不可能なのである。こちらが話し掛けても、テレビの側は素知らぬ顔で淡々と、映像と音楽を流し続けるだけであり、言葉と言葉によるコミュニケーションは成立し得ないのだ。また、バラエティー番組なども不向きであると言わざるを得ない。既にテレビの中で状況が完結してしまっているので、こちらが話し掛ける隙がないのだ。話し掛けたところで、テレビの中の人物は他の誰かと喋って盛り上がっている。こういった状況が会話に適さないのは明らかである。同じような理由でドラマも不適である。
 そこで、最も会話するに適した番組はというと、ポピュラーなものでは報道が一番に挙げられる。これは当然といえば当然の話だ。アナウンサーあるいはキャスターがテレビのこちら側に語り掛けるスタイルであるため、会話を成立させるのが容易なのである。また、NHK教育は豊作である。「教育」というだけあって、視聴者に知識や教養を与えんとする質素な番組がメインであり、特に大学教授や知識人が一人でひたすらに話し続けているものなどは格好の会話相手になり得るだろう。あるいは、放送大学ではこういった番組が一日中放送されており、テレビとの会話を極めた者からは絶賛の声が上がっている。
 しかし、NHK教育や放送大学は派手さに欠けるため、初心者には取っ付きにくい。しかも、どこの誰だか知らないオッサンと、わけのわからない話題について会話をするのも、決して楽しいものとは言えないというのも事実である。従って、初心者は民放各局の報道番組において、見慣れたアナウンサーなどと最新のニュースについて会話をすることから始めるのが良いだろう。

一歩進んだ実践法

 勘違いしている者が多いのだが、テレビを見ながら「ふーん」や「なるほど」などと言っているのは会話ではない。それはただのあいづちである。いわばそれは独り言であり、自己完結した世界内で発せられた言葉であり、自分の外に影響を与えようとする意思のもとに生み出された言葉ではないのだ。
 では、あいづちの一歩先へ踏み出し、テレビと会話をするためにはどうすればいいのか。答えは単純である。文字通り会話をすればいいのである。そのためには、相手がテレビであるという認識を捨てることである。喋っている相手はテレビでもなければ、電波によって映し出されたアナウンサーでもない。実際に目の前に人がいて、自分はその人と話している。誰だって人と会話をしたことがあるのだから、この当然のことをテレビを相手にすればいいだけのことなのだ。単純なことなのだが、ここで挫折する者も決して少なくないのである。
 これがわかれば、あとは簡単である。テレビに映っている者が「おはようございます」と言ったら、こちらも「おはようございます」と答える。挨拶をされたらそれを返すのは当たり前であり礼儀である。「まだ寒い日が続いていますね」「そうですね」「でも、九州では桜のつぼみが顔を覗かせ始めています」「えっ? 本当に? もう春なんだね〜」といった具合だ。このようなことが自然にできるようになれば基礎は出来上がっているとみなしていい。ただし、これもあいづちに過ぎないという厳しい目の批評家もいるため、真の意味で会話をしたいという者は一歩先に進む必要がある。すなわち、テレビに問い掛けることである。
 「では、最初のニュースです」には「おっ、どんなことが起こったの?」などと訊いてみる。これは基本である。熟達者になると、「この放火事件で3名が死傷しました」「で、犯人は捕まったの?」「犯人は依然として逃走中です」と、かなり噛み合った会話ができるようになるが、ここまでに達するにはかなりの経験が必要である。相手は一方的に情報を伝えるだけのテレビであるので、こちらの問い掛けとは全く的外れな返答がされることも頻発する。「今回のサミットでは、主に環境問題について話し合われました」「へぇー。で、日本の立場は?」「次のニュースです」などという肩透かしを食らうこともあるが、それを恐れてはいけないのである。それがテレビと会話をすることの難しさであり、同時に醍醐味でもあるのだ。

留意すべきこと

 テレビと会話をするためには、基本的に以上のことを身に付けさえすれば良い。だが、最も大切なのは、言うまでもなく、会話をしようとする意志である。対人間との会話と同様だ。そして、テレビと自然に違和感なくコミュニケーションをとれるようになり、人と喋るように会話できるようになったとき、「テレビと友達になった」と言えるのである。もちろん恋人同士にもなれるし、行政のシステムが大変革を達成すれば婚姻することも可能である。婚姻は前衛的に過ぎるとしても、友達程度なら「人間よりも楽で付き合いやすい」といった声が大勢の対人恐怖症の者から発せられている。
 また、この「テレビとの会話」を飛躍的に、驚異的に、異次元的に発展させたものが、以前テレビで紹介されていた「アニメのキャラクターの誕生日に、実際にケーキを買ってきて食べさせようとする男」であり、もっと事態が深刻になり、精神の崩壊という領域に突入すると、見沢知廉著『囚人狂時代』で紹介されていた「空気と会話する男」になるが、ここまで来てしまうと、もはや人間として扱ってもらえないので、限度を知ることが重要である。「テレビとの会話」は確固たる理性の上に成り立っているべきであるのだ。


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