アラーム・クロック・ベル・クラッシュ

 目覚ましの音がして、意識がかすかに開ける。金属的なベルの音。それを止めようと音のする方に手を伸ばし、辺りを探る。顔は背けたまま、まだ寝ぼけた状態だが、睡眠を妨げようとする音を消したいという意志に動かされている。だが、いくら手を掻き乱しても目覚まし時計には当たらない。耳に響く金属的雑音。布団を頭まで被ってみても音はうるさく、心は落ち着かない。とうとう上体を起こし、目を無理矢理見開いてその方向を睨み付ける。

 目覚まし時計などどこにもない。

 間違いなく、今まで何百回と聞き続けてきた目覚まし時計の音だ。その音を発しているはずのものが見あたらない。気付くと、金属音は止んでいた。僕は顔をしかめた。

 ハムエッグを作っているときに思い出した。目覚まし時計は昨日の夜に捨てたのだった。はっきりとした理由は忘れたが、とにかく何か不具合が生じたか、気が損なうことが起きたかによって、その朝の大役を努めていた時計は処分されたのだ。

 朝はたいていハムエッグを食べる。重ね合わせた食パンに挟んで頂くのが最近の定番だ。だが、今朝のメニューにはハムは加えられていなかった。ハムエッグを作っていたつもりだったが、実際に食したのはただの卵焼きをパンに挟んだだけのものだった。どの時点でハムが消失したのかは思い出せなかった。

 出社時間よりも三十分前には職場に着くようにしている。車を降りて建物の入口に向かうが、視界の隅に入り込んだ異変に気付きそちらを振り向いた。ここまで乗って来た自分の車。それが衝突事故でも起こしたかのように大破していたのだ。特に運転席側の損傷は激しく、とても人が運転できるような状態ではない。乗り込むのさえ不可能だろう。ついさっき車を降りてからこの事態が発生したとは考えがたい。車一台が破壊されるような音はしなかったし、なにしろ車を離れてから数秒以内に気付いたのだ。ということは、僕はこの運転席に腰を下ろすのさえ困難な車に乗って会社まで来たことになる。

 昼に近い頃、デスクで考えごとをしていると、上司に呼ばれた。月末の会議の資料整理をして欲しいという。
 「その仕事なら昨日頼まれて終わりましたよ」
 上司は訝しげな表情を見せる。昨日は君は環境対策のシンポジウムに出席してて、ここには殆どいなかったじゃないか、と彼は言う。結局、資料整理の仕事を引き受けた。確かに昨日も同じことをしたので、より速く、より丁寧に終えることができた。今日のメインの仕事はそれだけで、退社時間には帰ることができた。寄り道もすることなくまっすぐ家まで戻った。車は潰れたままだったが、それを運転したのだろう。

 部屋に入るとまず目に付いたのが目覚まし時計だ。いつも置いていた場所に当たり前のようにあった。僕はそれをつかみ上げると、窓から家の前にあるゴミ捨て場に投げた。一度捨てたはずの物が部屋に舞い戻っているのは気味が悪かったし、理由はともあれもう必要ないと手放した物を再び置いておく意味はないと思ったのだ。

 タバコを買いに行くため車のキーを取った。歩いて行くには少し遠いが、車では五分ほどと、中途半端な場所に自動販売機があったはずだ。部屋を出るときに、流しにあるハムが目に付いた。今朝の食事に使った皿の上にあり、フライパンなどで焼いた跡らしきものはなかった。

 車に乗り込んで目的地へ向かう。決して明るいとはいえない道だが、交通量もたいして多くない。
 自動販売機の明かりが見えてきたころ、突然真正面の闇の中から対向車線を大幅にはみだしたトラックが出現した。慌ててハンドルを切ったのと衝突したのが同時くらいだっただろう。目の前が真っ暗になった。最後に見たのはトラックの点灯していないヘッドライトだ。衝突の際のけたたましい音を最後に聴覚も闇の中へ消えた。

 意識がかすかに開ける。目覚ましの音のせいだ。耳障りな金属的な音。目もきちんと開かない状態のまま僕は目覚まし時計を手で探り始める。


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