ネット上の翻訳システムは、ステレオタイプな日本語訳しかできず、融通が利かないという欠点があるものの、逆に、その機械的に作成された文章が、決して理性的な力によっては綴ることのできないものになっているという点において唯一無二の魅力を湛えている、という見解はよく聞かれることである。
例えば、フィンランドのアーティスト、ヴァルティナのアルバム『KOKKO』の英文によるレビューを、BETAという翻訳システムによって訳した文章は、次のように始まっていた。
「4 つの前のアメリカ人解放, 短く, 鋭い集中されたKokko が 主として国のkarelian 伝統から得られるditties のサービスのポップミュージックの強さのレーザ光線へ少女のグループの真夜中のsunners を砥石で研いだ後。」
全く支離滅裂な文章ではあるが、この意味不明さには何か秘めたものがあるように思えてならない。それは、翻訳マシンが必死に演算して二つの言語をイコールにすべく試みた努力の跡に対する共感かもしれないし、ただ単にわけのわからない文章がおもしろいだけなのかもしれない。
BETAによって訳された文章は同じような感じで続いていく。読んでいても、絶賛しているのか酷評しているのかがわからず、参考にあまりならない。
そして、文章はこのように閉じられている。
「すべての音楽ガイドdervish のriff との" Halla ", ちょっとええガチョウ呼出しを, かもしれない」
関西弁である。「ちょっとええガチョウ」だ。しかもそれが呼び出されるらしい。
ちなみに、冒頭の文章をATLASというシステムで訳したところ、こうなった。
「短くて、鋭くて集中しているコッコは前のアメリカ人がリリースする4時以降、国のKarelian伝統から主に得られた小唄のサービスにおける、ポップスの強さのレーザー光線に少女グループ真夜中sunnersを砥石でとぎます」
そして、次のように閉じられている。
「ほら、-、うん、呼び出しを群がらせるガチョウ、klezmer、およびEZはサクソフォーン数値、およびすべてをその場に立ちすくませる風変りな角の切れ目にジャズダンスを踊らせます」
ジャズダンスのくだりが特に秀逸だと思う。