暇だったので受験

 「経済学方法論」の講義の試験があったのだが、なぜか受けてきた。僕はこの講義を履修していないため、受験しても何の得にもならないのだが、暇だったので受験してみたのだ。
 しかも、「持ち込み可」となっているところを、一切何も持ち込まずに受けることになった。言うまでもなく、講義には一度も出席していないし、出題内容も一切わからない。
 試験を受けると決めた前日の午後6時から、講義中に配布されたレジュメを持っている友人宅にお邪魔して、まさに不眠不休で勉強に打ち込んだのだった。やると決めたら妥協せずにやり遂げたいのだ。

 そして、そのまま寝ずに試験に臨んだ。講義は3限目から始まり、4限目の途中から試験が開始された。もちろん、何も持ち込まずに回答した。
 試験問題は大きく3部に分かれており、第1部が穴埋め25問、第2部が「社会主義計算論争」の意義を答える論述問題、第3部が「経済学方法論と私」というテーマで自由に書く論述問題だった。
 第3部だ。僕はこういう感想文みたいなものを書くことが最も苦手なのだ。だが、着目すべきは「自由に」という点だ。「自由に」である。
 すなわち、覚えている限りで復元するに、僕は以下の文章を書いて提出した。文中に出てくるシュンペーターとは、経済学においては最も重要な人物のうちの一人である。

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 私は、経済学方法論の講義においては、シュンペーターに衝撃を受けた。当然に、彼の思想も充分に衝撃的だったのだが、それ以上のインパクトは、顔である。
 以前、講義において配布されたプリントに彼の顔写真が掲載されているのを見たことがあるが、何だろう、あの顔は。シュンペーターという名前からは想像の及びもしない顔だ。
 もちろん、この一切の責任は私にある。名前に「シュン」とあるからといって、「シュッ」とした顔を無意識に思い浮かべていた私が悪いのであり、シュンペーターには何の落ち度もない。
 しかしだ。見慣れた今となっても、あの顔は私に衝撃をもたらすのである。シュンペーターという人物においては、その思想の内容と同様に、いや、それにも増して、あの顔が喧伝されてしかるべきであると私は考える。

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 ふざけた文章である。試験だというのに何を書いているんだ。しかし、書くことが特になかったので、仕方ないのだ。

 終了後、試験を受けていたゼミ生4人で担当講師のもとへ行き、我々の答案を優先的に採点してもらった。その講師は、今年度の前期まで、つまり約1年半に渡って我々のゼミを教えていた人物なのである。
 結果、僕は61点だった。第1部の穴埋めが50点満点中21点であり、第2部の論述が25点満点中20点であり、これは驚きなのだが、第3部は25点満点中20点だった。シュンペーターの顔などという、全くどうでもいいことを書いて8割の点数をもらえるとは思わなかった。
 ところで、60点以上を獲得すればC評価であり、単位が出るので、履修していれば単位が確実に出るところだったである。惜しいことをした。
 しかしながら、僕としては、受けても意味のない試験のために時間とエネルギーを最大限に割いたという充実感を得た上に、シュンペーターの顔についてのふざけた文章を書くことができて充分に満足だったのだ。

 ※ちなみに、そのシュンペーターの衝撃的な顔写真を見つけるべく、インターネット内をくまなく捜索してみたが、ついに見つけることができなかった。もし、あらゆる検索サイトの画像検索で「シュンペーター」もしくは「Schumpeter」と検索し、シュンペーターの顔写真を幾つか見つけたとしても、それはシュンペーターについての真実性を全く含んでいないものであり、つまり、見ても仕方のないものであると位置づけてしかるべきである。「そんなものはシュンペーターでも何でもなく、本当のシュンペーターは別の場所にある」と、僕は考えている。


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