閑古鳥ラーメン

 殆ど最高とも言える立地条件に位置するにも関わらず、全く客が入っていないラーメン屋があるのだった。このラーメン屋の前を通るたびに、「ああ、また誰も客がいない」「またガラガラだ」などとかなり侘しく思っていたのである。
 こんな有り様の店舗を見続けた末に、一つの疑問が浮かんだ。
 「どれだけまずいラーメン屋なんだ」
 誰も寄り付かず、固定客も恐らく存在せず、四六時中ゴーストタウンの様相を呈しているラーメン屋。ここは相当なものを食べさせてくれるに違いない。
 というわけで、甚大な期待を背負いつつ、そのラーメン屋ののれんをくぐってきたのである。

 夜の7時頃だったと思う。この時刻は、外食産業にとってはいわゆる「かき入れ時」であり、もちろん、ラーメン屋にとっても例外ではないはずだ。
 店内に入って、唖然とした。唖然と言うか、予想通りというか。
 客が誰もいない。
 「仙台っ子ラーメン」が注文を取り続ける中、「天下一品ラーメン」が濃厚スープを作り続ける中、このラーメン屋は何もすることがないのである。警察官が街の治安を守り続ける中、受験生が問題集に回答を埋めていく中、ヘビースモーカーが吸殻を山積みにしていく中、このラーメン屋は、何もすることがないのだ。

 カウンター席に座り、注文をする。メニューは至ってしかるべきものだった。何種類かのラーメンやら餃子やらビールやらが記されていた。僕は「スペシャルねぎラーメン」を頼んだ。もう二度と来ないであろうことはわかっていたので、せっかくだからスペシャルなものを食べておきたかったのだ。

 店内のスタッフは3人いた。中年くらいの男性と、若い男性と、若い女性だ。僕は、その中年くらいの男が店長であり、己のこだわりのラーメンを宮城県内に轟かせるべく店を開業した者だと思っていたのだが、彼は、若い男性店員に教わりながら、注文のラーメンを作っていた。
 貫禄があるように見えたおっさんは、ただのバイトだったのか。

 それほど待たずに完成し、ラーメンは我々の前に差し出された。
 いよいよ、食べるときがきた。
 まずはスープを飲む。で、麺をすする。
 一緒に来た者が、隣で言った。
 「普通だ」
 僕は味オンチなので、うまいのかまずいのかはよくわからないものの、これがラーメンだということだけはわかった。なぜなら、僕はラーメンをオーダーしたからである。「普通だ」と言うのだったら、たぶん「普通」のラーメンなのだろう。ただ、「絶品」に値するものではないであろうことだけは、僕にもなんとなくわかった。

 ふと、隣の者がコショウを手に取り、ラーメンにふり始めた。
 「滅多にコショウはかけないんだけど、普通すぎて」
 僕も何かしなくてはならないのかと思い始め、同じくコショウをふってみた。
 食べてみる。
 確かにコショウの味がした。「普通」のラーメンにコショウをふると、おいしくなるのかどうかはわからないものの、コショウの味と風味が加えられることだけはわかった。

 何かしなくてはならないのかと思い始めたら止まらなかったのであり、友人がラーメンに酢を加えて食べていたのを思い出したので、酢も加えることを試みた。今まで、ラーメンに酢を主体的に加えて食べたことがなかったので、どのくらいの分量が適切なのかがさっぱりわからなかった。とりあえず、レンゲ1杯分の酢を器の中に注いでみた。
 スープに酢をまんべんなく馴染ませ、その合成されたものをレンゲで飲んでみる。
 すぐにわかった。
 酢を入れすぎた。
 あとの祭りである。もはや、わけのわからない味になっている。従って、その後、僕は「普通」のラーメンではなく、「酢が過剰」で「わけがわからない」ラーメンを食べていたことになる。

 中年の男性店員が厨房でラーメンのこだわりを磨いていると見せかけて実は何もしていない中、若い男性店員と女性店員がテーブル席に腰掛け、テーブルに多くの紙を重ねながら、何やらしているのが目に付いていた。
 「こんなところですることじゃないよね」と、声をひそめて隣の者が言った。
 「あれ、何してるの?」僕も声を小さく尋ねる。
 声をひそめたまま、返答がきた。
 「経理」

 会計をして、店内から出ようとした際、いつ来るのかと心配していたのだが、入り口ですれ違う形でようやく新たな客が来た。「普通」のラーメンを食べたい者たちは、まだいたのだ。

 車に乗って帰ろうとした時、気付いた。我々が来る以前から、駐車場に車があったのである。にも関わらず、客が誰もいなかったのは何かおかしいと思っていたのだ。しかもそのうちの1台は、一番目立つ場所、来店する客が最も駐車したい場所に停めてあったのだ。殆どの確率で、それは従業員の車であろうが、「なんて無礼なラーメン屋だ」と思う前に、僕は殆ど同情する形で考えたのだ。
 あれは、いわゆる「サクラ」だ。客が入っていると見せかけるべく、その場所に従業員の車を位置させたのだ。
 こんなところに「普通」のラーメン屋のたゆまぬ努力があった。罪悪感と戦いつつも、我がラーメン屋の存続のために、客が停めてしかるべき場所に自らの車を堂々と停めておく。涙ぐましいではないか。

 もうこのラーメン屋に立ち寄ることはないだろう。誤解して欲しくないのは、そのラーメンは決して「まずい」のではなく、「普通」なのである。その証拠に、コショウをふったら、ちゃんとコショウの風味がしたし、酢を入れすぎたら、酢を入れすぎた味がしたのだ。

 僕が願うのは、すれ違ったあの客たちがサクラでないことである。万が一、正真正銘の客だったとしたら、あまりにも「普通」だからといって、レンゲ1杯分の酢を加えないことを、祈って止まないのだ。


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