歯医者にて、こらえる

 笑ってはいけないようなときにそのことを意識してしまったら、もう止まらない。次から次へと頭の中で笑いの糧が沸々と生まれて、どうしようもなくなってしまうのだ。

 意識しないようにすればするほど、意識してしまう。それは当然のことだ。「意識しないようにする」ということは「意識する」ことを内包しているからである。もしくは、禁止されると好奇心が湧いてしまうのにも似ているかもしれない。
 いずれにしても、悪循環に陥ってしまうのだ。

 そんな時にできることといえば、これ以上の爆笑エピソードが思い出されないようにただ祈ることくらいである。

 歯医者でのことだ。

 治療を受けていた。倒したイスの上で、僕は口を大きく開けていた。そんな時、ふと思ってしまった。

 「こんなときに限って変なこと思い出したりするんだよな」

 その「変なこと」を先に思い出したのではなく、「変なことを思い出してはいけない」ということを考えてしまったのだ。
 順序的に逆である。だか、もうこうなると止まらない。頭に抑圧をかけるが、逆にそれが拍車をかける結果になってしまう。

 「ガッツ石松は、自分の名前を『ガシシ石松』と書く」

 思い出してしまうのだ。

 危険な状態だ。
 一瞬たりとも予断を許さない。少しでも気が緩んだら、意味の分からぬ笑いを歯科医師にさらしてしまうことになってしまう。我慢だ。耐えるんだ。

 だが、湧き上がり続ける思想はとどまることを知らない。

 「消防車を必死に追いかけていた消防士」

 昨日、その歯医者の前の通りで見た光景を思い出してしまう。

 思考は止まらない。
 緊張の糸が張っている。闘いだ。
 意識と意識との血で血を洗う争いである。
 片一方では次々と生産され、もう片方ではそれを押し込めようとしている。だが、その押し込めようとする意識は、密かに生産を助長してしまう。

 そして、また思い出してしまうのだ。

 「中学の時、テストでヨーロッパ連合のことを『UE』と書いた者がいた」

 これが思い浮かぶと連鎖的に次のことが思い出されてしまう。

 「また、その者は、記号の選択問題──ア、イ、ウ、エ、で答える──で『イ、ムッソリーニ』を答えとして指摘し、『イ』と書いたつもりが、解答欄に『ム』と記入していた」

 僕は祈っていた。これ以上のことが思い出されることのないことを。


[戻る]
inserted by FC2 system