「モテ男」への劇的な変化

 本屋に行ったところ、サブカルチャーの新刊が並べられているところで一人のオッサンが立ち読みをしているのが目に付いた。たぶん50代後半か60代くらいで、リュックサックをだらしなく背負っており、服装もかなりだらしなかった。
 このオッサンが一体何を読んでいるのかが、ものすごく気になった。サブカルチャーとは全くの無縁に思えたのだ。
 近づいていき、そっと表紙を盗み見る。

 『モテ男になるためのバイブル』

 そうなのか。相当モテたいんだろう。さっぱりモテるとは思えないその風貌からして、彼が不遇の人生を送ってきたであろうことは容易に想像できる。
 だが、今は違う。なにしろ彼には『モテ男になるためのバイブル』がついているのだ。「バイブル」である。これで「モテ男」になれなかったら、何を信じればいいのだ。
 僕は、一旦その場から離れたものの、まだ彼が「モテ男」になるべくしてその本を熟読しているのか気になったので、再度、接近を試みた。
 彼は同じ場所にいた。ただ、違う本を読んでいた。

 『超プロが教える口説きのマニュアル』

 当然の流れである。自らが「モテ男」として完成されたという自信がつけば、次のステップとして「口説き」に走るのはしかるべきであり、向上心が彼をそうさせたのだ。あるいは、「モテ男になること」は基礎であり、「口説き」は実践である。基礎の次に実践が待ち構えるのは当然ではないか。
 彼は、その2冊の本を片手に携え、その場を移動し始めた。僕は、彼の動きに釘付けになっていた。「まさか、レジには持っていかないだろう」と心のどこかで疑っていた。購入する勇気が不足していたがために、もとの場所に戻ってきて、それらの本を売り場に返すのではないだろうかと不安になっていた。

 杞憂だった。

 彼は、勇敢にもレジに並び、その2冊の本を店員に提示し、店員の「なんだこのオッサンは」みたいな視線にも負けず、代金と引き換えに「モテ男への変貌」と「口説き方」を獲得したのだ。
 そのレジでの清算後も、僕は彼を追跡してみたのだが、途中で見失ってしまった。きっと、彼の「モテ男」への劇的な変化のせいだろう。だらしないオッサンらしき人はどこにもいなかった。


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