毛髪の統制

 我々の身体において最も自由なのは、紛れもなく髪の毛である。その自由度においては、他の身体各部を凄まじく凌駕する。
 我々がいくら体を鍛えようとも、シルエットが一回り大きくなるだけだが、髪の毛はただ立ててみるだけでその容貌が劇的に変化するのだ。ファッションにおける殆ど全ては服装と髪型によって語られるが(女性の場合、メイクも入るらしい)、これは世間に溢れる膨大な服と数的に同程度の髪型が存在するということであり、加えて、その髪型が自らを演出する上でかなり重要な役割を果たしているということを表している。
 「髪の毛は妖怪の一種である」という説が飛び出すほど、それは我々の身体の一部とは思えないくらいに自由であり、自由であるからこそ自己表現や個性の発揮の源としてみなされているのだ。
 従って、逆に考えれば、ある者の髪の毛を統制すれば、その個人の自由を奪ったも同然であり、その者の個性などの人格、さらには思想までをもコントロール下に置きつつある状態になり得るということである。清朝における「辮髪」は、漢民族の思想をその手に掌握し、彼らを手なずけようとする試みであったし、朝鮮民主主義人民共和国政府による人民への毛髪の統制も、彼らの思想までをも制しようとするものであるに違いない。

 我が内定企業においては、髪の毛についての規定がかなり厳しい。特に男性社員においては、「前髪が眉毛にかからない」、「横髪が耳に触らない」、「後ろ髪が襟に触らない」、「坊主禁止」と、一体どんな髪型にすればいいのかさっぱりわからないことになっているのだった。そして、4月の合同研修においてこの規定に少しでも触れた髪型をしてきた場合は、バリカンで強制的に整髪させられるのだそうで、昨年は約150名の新入社員がそのバリカンの被害に遭っているらしい。つまり、新入社員の殆どである。恐らく、髪の毛が少しでも耳に触れていたり、襟に触れていたりしたら、即刻バリカンが音を立てるということになっているのだろう。
 これほどまでに髪の毛について厳しい規定を設けている理由は、社員の精神を統制するためであると考えられる。表向きには、「お客様に不快を与えないため」だとか「清潔感のため」だとか「身だしなみ」だとか言われているが、そこまで厳しくするのは明らかに過剰だからだ。

 壇上で、たぶんかなり偉いのであろう人が我々に向かって言っていた。

 「社会人になると、休憩1時間を含めた計9時間会社に拘束されることになる。1日24時間という限られた時間の中でそれだけの時間を拘束されるとなると、自分の自由に使える時間は1日1時間程度しかない。つまり、1週間で7時間であり、1ヵ月で30時間だ。その少ない時間の中で自分の生活を充実させようとするには、どう考えても無理がある」

 休日という概念をその中に盛り込んでいない時点で、「この会社はどうなっているんだ」と思わざるを得なく、加えて、噂によると実際には1日に15時間くらいは働かされるらしいのだが、それは関係ないのでここではあまり述べない。
 彼は続ける。

 「だったら、会社に拘束されるその時間を充実したものにすればいいじゃないか。仕事をしている時間を充実させればいいじゃないか。そうすれば、1日に10時間も充実した時間を過ごせるのであり、1週間で70時間であり、1ヵ月で210時間だ」

 そして彼は、「仕事を頑張ったからこんなにスピード出世した」という先輩社員の例を幾つか我々に語り、「出世すると劇的に給料が増える」ということを熱弁した。

 彼ら(会社側)の魂胆は明白だ。我々新入社員を「仕事人間」に仕立て上げようとしているのである。「仕事人間」にさせるために我々の意思をコントロールし、洗脳すべく、髪の毛について厳しい規定を設け、それを強制している。
 全てをまともに解釈するためには殆どそう考えるしか手がないし、そう考えれば全ての点がスムーズに線として繋がるのだ。

 僕は以前から「仕事人間」にだけは絶対になりたくないと思っていたのだが、会社側の魂胆が明らかになった今、どうすればいいのかわからない。考えただけでも気が滅入ってくるのだった。
 このまま行くと4月からは何もかもがめちゃくちゃなのだが、とりあえず、「バリカン」の行われる研修には、反骨心をむき出しにして坊主で行こうと目論んでいる。髪の毛が長い場合はバリカンで刈られるのなら、短い場合は一体どんな処置が施されるのか、興味深いではないか。そういったところに楽しみを見出さないと、やって行けないような気がするのだ。


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