国民年金への加入

 20歳になると、様々な権利が与えられる。選挙に行くことができるようになるし、タバコや酒も認められる。俗に言う「大人の仲間入り」である。
 だが、大人になれば権利の恩恵にのみ与れるようになるわけではない。義務も課せられるのだ。

 そのうちの一つに「国民年金への加入」がある。

 五月の初めに年金についての封書が届いた。その中にはハガキが入っていて、確認のためにそれを送り返すように指示があったので、程なくそうした。

 それから、二週間ほどが過ぎたが、何の音沙汰もない。だんだん不安になってきた。別のお知らせの用紙には確か、市役所へ行って加入手続きをせよ、とのことが書いてあった気がする。しかも、それには期限があったはずだ。

 その日、不安が限界に達したところで、僕はもう一度その用紙を読み返してみることにした。

 《加入手続きについて》
 資格を取得した日(20歳の誕生日の前日)から14日以内に、住民登録のしてある市区町村の国民年金担当窓口に届出をしてください。

 やはり期限が存在した。
 僕は自分の誕生日の前日から14日を数えてみた。どうか、まだ期限が過ぎていませんように──、と祈りながら。

 ──過ぎていた。

 僕は焦ると同時に一人で憤慨した。取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないという思いがのしかかった。やはり市役所の窓口で手続きをしなければならなかったのだ。それに対して、僕がしたことといえばハガキを送り返したのみ。

 大人の世界は複雑だった。その上、何もしなければどんどん置き去りにされていってしまう。過剰な説明など一切なく、全ては事務的に行われていく。

 運良く翌日は午前中が暇だったので、市役所へ行くことに決めた。というか行かざるを得ない。これは大人の世界へ足を踏み入れた者への最初の試練なのだろう。

 僕は市役所の中へと入っていった。ここには、住民異動の届出のためなどに数回来たことがあったため、全く未知の場所というわけではない。だが、多くの窓口が存在し、人々を困惑させる。
 僕もそのうちの一人だったが、市役所を知り尽くしたような顔を装ってしかるべき窓口のところで順番を待った。

 まもなく僕の順番になった。

 「加入の手続きをしたいのですけれど」

 窓口のイスに腰掛けて僕は言った。続けて担当者が言う。

 「前までは何に加入されていましたか?」

 どういうことだろう。前まで僕は何に加入していたのだろうか。いや、僕は新規の加入になるはずだ。20歳からの資格であるのだから、新規でないわけがない。

 「あの、新規で」

 「前までに加入されていたものがあると思うんですけれども」

 新規というものはできないらしい。何かがおかしいことに僕は気付き始めた。
 僕はその窓口の名称を確認してみた。

 「国民健康保健」

 何かが違うような気がする。でも、何が違うのかがわからない。少なくともわかることは、この窓口では新規の加入は頑なにできないらしいということだ。

 そんなとき、担当者の次の言葉で僕は全てを理解した。

 「国民年金のほうですか?」

 ──そうだ。僕がここに来た目的は国民年金だった。国民健康保健ではない。

 「あっ、そうでした」

 「それでしたら、あちらのほうの窓口になります」

 「どうもすいません」

 大人の世界は、窓口をうっかり間違えてしまう者を生み出すほど複雑だった。

 「加入手続きをしたいのですが」

 今度こそは間違いない。国民年金の窓口だ。

 「生年月日は?」

 担当者の問いに僕は答える。担当者はパソコンにそれを入力している。たぶん検索しているのだろう。続いては名前を入力する。

 やがて、僕という人物が特定できたらしい。
 担当者はディスプレイを見ながら言った。

 「もう加入されてますよ」

 その意外な言葉に僕は驚くとともに、ほっとした。だが、次の瞬間には何だか損した気分になっていた。

 「じゃあ、別にここに来なくても良かったってことですか?」

 「そうですね」

 話によると、五月の初め頃に届いたハガキを送り返したことで、加入手続きは完了していたとのことだった。
 無事に加入できていたことへの安堵。また、昨日のぬか焦りとぬか憤慨の、またこの市役所へわざわざ足を運んだが別に何事もなかったことへの損失。

 大人の世界は、収穫もなく市役所から帰っていく者を出現させるほど複雑だった。


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