小学生の日記

 実家の部屋の整理をしていたら、小学生の頃の作文帳が出てきたのだった。
 昔から、作文というものがかなり苦手だった。何を書けばいいのかわからないのである。例えば、友達と遊んだとしよう。それを作文にすると、こうなる。

 今日、帰ってから、ゆうや君と大輔君でサッカーをやりました。おわり

 それ以上、書くことがない。表現に卓越した者ならば、もっと鮮やかな描写を用いたり、些細な出来事をドラマチックに仕立て上げたりすることができるのであろうが、そんな技術は持ち合わせてはいなかったのである。上記の作文には、担任の先生のコメントが添えられており、当然の如く、「もう少しくわしい日記を書いてほしいですね」とあるのだった。小学6年生でこれである。かなり駄目なのではないだろうか。

 溯って、小学4年生の頃の作文帳も手元にあった。
 ページを開いて最初の作文は、「しょうらいの夢」というタイトルである。

 ぼくは、大きくなったらゲームソフトを作る人になりたい。むずかしそうだけどつくってみたいと思う。日本のどこかの会社で作る

 これで終わっているのだった。最後に「。」も付いていない。明らかに匙を投げている。
 今となっては、殆どテレビゲームはしなくなったが、当時、僕はスーパーファミコンのコントローラーを毎日のように握っており、その情熱を作文にしようとしたのだろうが、なんせ、何を書けばいいのかがわからなかった。結果、「日本のどこかの会社で作る」という極めて雑な文を書き上げたところで頓挫してしまったに違いない。
 その次のページには、「運動会の思い出」というタイトルが付されている。

 いよいよ運動会の日がやってきた。
 ぼくが起きると、
 「ドン、ドン、ドカーン。」
 という音が聞こえてきました。
 ぼくは、
 「おおっ。今日は運動会をやるんだ。」
 と言いながらごはんを食べて、着がえて学校へ行きました。
 学校に着いたら。いすを第三校庭にもっていきました。しばらくして、
 「入場行進をするので整列してください。」
 という声が聞こえてきました。ぼくは、いそいで整列しました。行進が始まりました。」
 ぼくは、おもいっきり手をふりました。すると、後ろの人の手とぶつかりました。
 「いてーっ。」
 と心の中で思いました。開会式がおわって、ラジオ体操もおわって、天国と地獄をやります。整列して移動しました。ぼくは、
 「Aをとるといいな。」
 と思っていました。
 「よーい、バン。」

 ここで終わっているのである。革新的な幕切れである。ちょうどスタートしたところで終わっている。「天国と地獄」とは何か、「Aをとるといいな」とはどういうことなのか、全くわからない。「よーい、バン」なのだから、何かの競争なのだろうということは推測されるものの、そこで終わっているので、謎は紐解かれることのないまま迷宮入りだ。
 前回のものよりは分量が多くなったので成長が見られるが、遂に書き切ることのないまま座礁してしまったところは惜しい。また、上記は、原文のまま掲載したのだが、不可解な場所でかぎ括弧が閉じられていたり、間違ったところで句点が打たれていたりしているところもあり、それが何を意図したものなのか、書いた当人としてもさっぱりわからないのだった。
 続いては、「西武ミステリー列車」である。西武デパートが企画した旅行に参加したときの記録である。この作文、かなり拙い文章ながらも、最後まで書き上げている。つまり、出発から帰還までがとりあえずは書かれているということである。
 以下は、抜粋である。文中の○には、その旅行の企画のキャラクターみたいなものが書かれている。

 電車に乗りました。乗って少したった時、○に名前を付けてくださいと言われたので、
 「うーん、モガモガがいいかな。やっぱりウバウバ、いやーホゲホゲがいいかなー。」
 と思っていた時、パッとひらめきました。
 「おおっ。タイニィフェザーがいい。」
 と思いました。するとむかいがわから
 「ベロベロにしよう。」
 と言う声が聞こえてきたので、ぼくは、
 「アハハハハハハ。」
 と笑いました。そこで友達になったのです。友達になった人の名前は、横山一樹君です。

 友達ができた瞬間を綴った感動的な文章だが、それにしても「タイニィフェザー」とは何だ。調べてみたところ、ゲームのキャラクターみたいなものの名前のようなのだが、なぜそれが世紀の大発明をしたかのような書き方がされているのかがさっぱりわからない。だったら、「ウバウバ」のほうがよっぽどいい。いずれにしても、当時の僕にとって、「ベロベロ」がツボだったらしいのである。横山君は今どこで何をしているのだろうか。

 冒頭で少し触れた小学6年生の頃の作文だが、その最初のページには「いかり爆発」というタイトルのものが書かれている。

 日曜の朝、いつもと変わらずに、下へかいだんをおりくつろいでいると、とつぜん、
 「ピピピピッ」
 となりました。
 「なんだ。電子レンジやってたのか」
 と思いまたくつろぎました。するとお父さんが、
 「出せオラ!!」
 といきなり言ってきました。ぼくは心の中で
 「なにが「出せオラ!!」だ。なにいきなり言ってんだよ。もっとべつな言い方があるだろ。「電子レンジからとって。」とか、「悪いけど出してくれないか。」とか。まったくゆるせん。」

 確かに怒りが爆発している。最後のほうは怒りすぎて、文章としてわけのわからないことになっているのだった。しかも、登場人物は「ぼく」と「お父さん」の2名だが、どちらも怒っている。
 うちの父は概ね人格者であり良き父親だったが、ごく稀に意味不明な怒り方をするときがあって、しかも、主張を決して曲げないので、それは心のナイーブな息子をさらに神経質にするのに充分だった。従って、20代半ばを過ぎた今でも、居間で電子レンジが鳴ると落ち着かない気持ちになるのだった。上記は、その発端を証言した貴重な資料である。それにしても、字が汚い。小学4年生の頃よりも字が下手になっているというのはどういうことなのだろう。
 この作文帳はおそらく毎日書いて担任に提出することになっていたようなのだが、この「いかり爆発」で燃え尽きたのか、次の日からは既に書くことがなくなっている。

 今日は書くことがない!
 今日は書くことがない!!
 どうしましょー

 それだけしか書かれていない日があるかと思えば、別の日には次のように書かれている。

 今日は書くことがありません。なので6年になっての文句を書きます。

 そんなに堂々と宣言されても困るのである。その文句の内容も、本当にただの文句で、「漢字ノートのマス目が多くなる」だの「何かの代表になる可能性が高い」だの、ぐだぐだ並べられているのだった。
 本当に書くことがなかったのだろう。ある日においては、次のようなことさえ書かれていた。

  なし
 いやあ、なしはうまい。
  プルーン
 いやあ、プルーンはうまい。
  なべやきうどん
 いやあ、なべやきうどんはうまい。
  たんす
 いやあ、たんすはうまい。

 何が起こっているのかさっぱりわからないのである。


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