超自然的現象への逃亡

 風呂場の天井から水漏れしてきたことがあった。上の住人が風呂場を使うと、時々、水が滴り落ちてくるのだ。その量はわずかであったため、たいした被害はなかったのだが、気になったのでアパートを管理する不動産屋に見てもらうことにした。
 不動産屋からやってきた男は、天井にあった蓋のようなものを開け、その内部を懐中電灯で照らし、子細に調べ始めた。数分間に渡り暗闇を照らし、水漏れの原因を探っていた彼だったが、不意に苦い顔色をこちらに向け、こう言った。

 「心霊現象としか思えない」

 唖然とした。水が漏れている時が確かにあるのだ。しかし、彼は「心霊現象」などという言葉で、その状況を一蹴した。数日後、僕が改めて確認してみると、テープのようなもので補強された管から水が漏れているのを発見したのだが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。心霊現象を報告したとレッテルを貼られた衝撃はあまりにも重かった。

 「心霊現象」である。そんな言い分があるだろうか。その言葉には相手を脱力させ、全く筋の通らない言い訳であるにも関わらず、相手を無言にさせる力がある。
 しかし、逆に考えれば、これを使用することで、何らかの事実について、それを超自然的現象に押し付け、自らの責任を放棄することができるのだ。これを使わない手はない。自分に言い聞かせれば、何だか知らないが前向きな気分になれるだろう。

 スランプに陥ったときなど、酒に浸る前に自分に言ってみる。

 「心霊現象としか思えない」

 そのスランプは才能の枯渇によるものではなく、超越的現象という得体の知れないもののせいだと思い込むことで、自分を責めることを避けさせるのだ。そこにはかなり絶大なポジティブさがある。

 あるいは、友人に借りていた車を大破させてしまった場合、「あの事故は、心霊現象としか思えない」と自分に信じ込ませる。少しは軽い気持ちになれるのではないだろうか。なお、この際、その友人にその言葉を放つのは危険だ。無責任さを露呈する結果となり、彼の怒りを煽るだけだ。

 哲学者カントは、死の淵で最期の言葉として、「これでよし」と言ったという。
 これは自分の人生を肯定する言葉であり、全てやり切ったという意思の表れであると、僕は勝手に解釈したのだが、例えば、ある者の最期の言葉がこうだったとしたらどうだろう。

 「俺の人生、心霊現象としか思えない」

 これはだめだ。人生を全否定している。付き添っている妻も呆然とするだろう。

 このように、「心霊現象」には相反する二つの強い力が内在している。使い方には十分に留意すべきだ。


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