夏季休業が開け、大学生活が再開されて二日目。二時限目に西洋史の授業があったので10時半頃に家を出た。
チャイムと同時くらいに教室へ入り、人のあまり密集していないところの席へ腰掛けた。しばらくすると教授が入室してきた。授業が始まった。
開始してから45分くらいは経った頃だろうか。僕は眠気と闘っていた。退屈な授業だ。隣の席に座っている人はあからさまに眠っている。いや、彼だけではない。見た限りでは教室の大部分が睡眠状態にある者たちで埋まっていた。
壇の上にいる威厳のある人物は一体誰に向かって授業を展開しているのか。なんだか哀しげに見えた。
そんな時、僕の目には奇妙な光景が映った。通路を挟んで斜め前の席に腰掛けて授業を受けていた者。彼のことだ。
なにやら、やたらとうなずいている。ことあるごとにうなずいているのだ。
その目は真っ直ぐに教授を捉え、その耳で聞いた言葉をその頭に吸収し、その首を小刻みに縦に下ろすのだった。
教授は言っている。
「どんなに注意深く読んだとしても、現代人の一方的な思い込みを防ぐことはできない」
またうなずいた。
一体彼の頭の中では何が起こってこのうなずくという行為に至らしめているのか。
考えてみた。うなずくということは次の二点がきっかけになるのではないか。
一、共感。二、新しい発見。
つまり彼は西洋史には精通している者で、教授の言う全ての知識を既に知っており、それに対して「うむ、そうだそうだ」とうなずいている。もしくは彼は著しく西洋史に興味がある者で、教授の言うことの始終を自分の知識としてものにしたいという欲求が彼をそうさせている。
どちらだろう。残念だが、その時の僕にはそれを解明する術は持ち合わせていなかった。
「森はしたがって、見える国境というより、緑の海であった」
うなずいている。
味わうようにうなずいている。さも自分が教授よりも偉いかのようなうなずきだ。
いや、もしかしたら実際にそうなのかもしれない。彼は平凡な学生の姿をまとってはいるが、実はイギリスで教鞭をとっていたこともあるというあの教授よりも遥かに偉い人物なのかもしれない。その教授がしっかりした授業をしているかどうか密かに偵察しに来たのだろうか。
「非合理から合理がひらかれるのである」
またしてもうなずいた。
この一見難しそうな言葉を彼は一瞬のうちに理解したとでもいうのだろうか。
「森が人を支配している。そして、昼の世界が夜の世界を支配している」
うなずいている。
手を口に当て、噛み締めるようにうなずいている。自分自身のうなずきを深く味わっているかのようだった。
やがて、チャイムが授業終了を告げた。学生たちはぱらぱらと席を立ち始める。
僕も席を立ちかけたのだが、ふと彼のほうに目をやった。
彼はまだ席に着いており、教室を出る仕草は全く見られない。
そればかりか、彼はまだうなずいていた。誰もいない壇上を見据え、彼なりのリズムでその空間の方へうなずいていたのだ。
僕はそのあと教室を出てしまってことの結末は見届けることが出来なかったのだが、風の噂によると、彼はその場で五年間うなずき続けた末、首がぽろりと落ちて息絶えたのだという。