ユニットバス

 全く不可解なものが世の中には平気な顔をして存在しているのを見掛けることがある。その最たるものが「ユニットバス」である。このユニットバスを最初に考えた人物は凄まじい阿呆であるか天才かのどちらかであろう。
 ユニットバスとは、風呂とトイレが一緒になっているものであるが、まずその発想が凡人とはかけ離れている。
 どうして風呂とトイレを同じ空間に置こうとしたのか。普通の人間ならそんなことは思いつくはずもない。思いついたとしても、実際にそれを作りはしないだろう。
 風呂とトイレ。
 それらを同じ空間に置かなければいけない必要性は何一つなく、またそれによるメリットも全くないはずだ。そんなことは実際に作る前に分かることであると思う。だが、なぜか今、ユニットバスは世間にはびこっている。

 扉を開ける。
 その先にはユニットバスがあるのだが、それを一目見た瞬間におかしなところに気付くはずだ。

 ──風呂になぜか便器がある。

 しかも堂々と、さもそこが自分の定位置であるかのように、腰を据えて存在している。
 明らかに異様な光景だ。
 普通ならその場所は体や髪を洗ったりするために確保される場所である。だが、そこには便器がある。
 有無を言わさず、そこにいるのが当たり前といった立ち居振舞いでそこにある。
 いやいや、お前はトイレにいるべきで、ここにいるのはおかしいから、と何度言っても動こうとしない。頑固者なのである。ストライキでも起こそうとしているのだろうか。

 そして、そこに便器があるおかげで、その隣にある浴槽は浴槽たる機能を果たせない。
 通常なら浴槽とは、湯を張って、それにどっぷり浸かり一日の疲れを癒すというのが本来の使い方なのだが、それをしてしまうと、体や髪を洗うスペースがなくなってしまうのだ。そこがなぜか便器に占拠されているからである。
 別に便器の上でシャワーを浴びつつそれを行ってもいいだろう。だが、その場合その場所は水浸しになってしまい、次にトイレを使用する際、浸水した空間で用を足さなくてはならなくなってしまう。なんだか嫌な気分だ。ユニットバス使用者でそんな無謀なことをする者は恐らくいないだろう。
 だから、浴槽の格好をした箱の中、小ぢんまりとした空間でシャワーを浴びるしかなくなってしまうのだ。そうするためのカーテンまできちんと用意されている。シャワーを浴びる際には便器に気を使わなくてはならないのだ。

 一石二鳥という言葉があるが、ユニットバスはそれとは全く正反対の場所にあるものであろう。一緒にしたからといって、そこに巻き起こるのはデメリットばかりである。「一石二鳥」の反意語を「組合風呂」と定義付けても全く違和感はない。

 ニュートンが生まれていなくてもいつか万有引力の法則は発見されただろう。
 ライト兄弟が生まれていなくても我々はいつか空を飛ぶことができただろう。
 だが、もしユニットバスを発明した人物が誕生していなかったらユニットバスは永遠に存在しなかったに違いない。
 便器のある空間で一日の疲れを洗い流さなくてはならない、これはまさに現代の悲劇である。

 ちなみに、僕のアパートはユニットバスではない。


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