モノローグ桃太郎

 「あの」
 「はい?」
 「まだですか?」
 「……と言いますと」
 「いや、なんか来るって」
 「はあ」
 「待ってても来ないんで。まだかなーって」
 「来る?」
 「ええ。退治とか言って、来るって聞いてたんですよ」
 「ああ、聞いたことありますね。征伐に行くとかなんとか」
 「そうそう。それが全然」
 「あなたは?」
 「鬼ですが」
 「あー、あなたが、その、例の」
 「ええ、全然来ないから、様子を見に。そしたら、あなたがいたんで」
 「来ないんですか」
 「そうなんですよ」
 「誰もですか」
 「誰も?」
 「なんかいろいろいたじゃないですか。なんとかってやつと、サルと」
 「キジと」
 「そうそう、キジと……。いや、あの、そういうわけではないんですよ」
 「え?」
 「ですから、私は別にあなたを退治しようとか、くちばしで突こうだとか、こてんぱんにしてやろうだとか、ミサイルで撃破してやろうだとか、そんなことは思ってないってことです。私は関係ないんです。ただのキジです」
 「まあ、何でもいいんですが、来ないなーって」
 「信じて頂けます?」
 「まあ、何でもいいんですが、来ないから」
 「来ないんですか」
 「そうなんですよ」

1 キジ

 いやー、びっくりしましたよ。だって、目の前にね、鬼がですよ。腰が抜けそうってのはこのことかと思いましたね。でも、話すうちに、いいやつなんだなってわかりました。礼儀正しいし、話もわかるし。先入観ってのはいけないなと反省しましたね。ほら、やっぱり鬼っていうと恐いじゃないですか。なんたって鬼ですからね。だけど、話すことで分かり合うんですよ。コミュニケーションっていうんですか、話してみないことにはね、始まらないんだなって勉強させられました。その鬼はね、カレーが好きなんですよ。しかも、キーマカレー。僕も大好きでしてね。その会話を境に一気に仲良くなったっていうか、意気投合したんですよ。
 僕から提案したんですよ、サルのところに行ってみないかって。あいつなら何か知ってるかもしれないなって思ったんです。あいつは物知りだし、情報が早いんだ。そういうところは尊敬できますね。
 でもね、サルは顔を合わせるなり何て言ったと思います?
 「おー、近藤じゃないか、どうした」
 カチンときましたね、ホントに。でも、サルはお構いなしで呑気に喋ってくるんです。
 「なんだよ近藤、恐い顔して。な、近藤、この間、『ジャン・ポストミュリーの悲劇』っていう映画観たんだけどさ、あれ、最高だったよ。マジで。今度DVD貸すよ。人物に厚みがあったっていうかさ、近藤、お前、そういうの好きだろ、なあ、近藤ってば」
 まったくこいつにはデリカシーってものがまるでない。まあ、そういうところが楽っちゃ楽なんですけどね、友達として付き合う分には。いつまでもムッとしてても仕方ないんで、言ってやりましたよ。
 「あのなあ、俺は近藤じゃない。何度間違えれば気が済むんだ。前は遠藤って言ったよな。安藤って言った時もあったな。須藤とか、工藤とかも。違うんだよ。いい加減に覚えろ。俺は、橋本だ」
 いつまでも人の名前を間違え続けるなんて、あいつにしかできない才能みたいなもんですよ。

2 サル

 あいつは細かいことにこだわりすぎなんだ。安藤だろうが橋本だろうが同じようなもんだろ。何をそんなに固執してるんだって。まあ、あいつにはあいつの価値観があって、それがあいつのいいところでもあるんだろうけど。
 その日は、キジだけじゃなくて、でかい体の男も一緒だったんだ。見たことないやつだったね。で、そいつが鬼だってんだから、びっくりしちゃってさ。だって、鬼なんて図鑑とかでしか見たことないだろ。まさか目の前に現れるなんてさ、興奮しちゃったよ。だってあんたも宇宙人と道端で偶然出会ったら「うおー、本物だぜ。すげー」ってなるだろ。まさにそういうことだよ。でも、その鬼ってやつは、気が弱そうだったな。こんなんで鬼やっていけるのかよって、正直思ったよ。まあ、いろんなやつがいるからな。
 話を聞くと、その鬼はずっと待ってたんだそうだ。何をって? 聞いたことあるだろ、なんとかってやつが鬼退治する話。そのなんとかってやつが、いくら待っても来ないから自分から探しに出かけたんだって。律儀なやつだね。
 「その話か。鬼退治のやつだろ? それはだな、どっかのばばあが桃を拾ってきて、その桃から生まれたなんとかってやつが、鬼を成敗しに行く話だ」
 「ああ、そうだったかもしれないな」
 「てことは、そのばばあを見つけ出せばいいってことだろ。心当たりはあるぜ」
 「知ってんの?」
 「ああ、昔よくお邪魔したからな」
 「もしかして、まだやってんじゃないだろうな、畑荒らし。いい加減やめたらどうだ」
 まったく説教臭いやつだよ、キジってのは。金持ちから頂いたものを貧しいやつらに分配して何が悪いってんだ。
 「それにしても鬼さんよ、あんたいつから待ってるんだい?」
 そう訊くと、鬼はびくっとしてたね。いきなり質問されたからかね。面接じゃないんだからさ、まったく。よっぽどの小心者なんだな。
 「いつからっていうか、ずっとですかね」
 「ずっと? ずっとって、ずっとかい?」
 「ずっとですね」
 「ずっとはひどいな。だって、ずっとだぞ」
 よくそんなに待てるもんだと感心したよ。俺なんて、電話線の工事が3分遅れただけで、いらいらして、やつらを叱りつけてやったことがあるってのに。
 「とにかく、ずっと待たせるなんて、ひどいやつだ。あのくそばばあ」
 「おばあさんのせいかどうかはわかんないだろ」
 「さあ、行くぞ。善は急げだ」
 ってなわけで、ばばあの家に向かったわけだ。
 そういえばその途中で、ワンワンうるさいイヌがいたな。こっちに向かってずっと吠えてるんだ。「うるせえ」って蹴飛ばしてやったら、「ギャン!」とか言って卒倒してたな。でも、なんかあとをつけてきやがるんだ、そのイヌ。仕方ないから、勝手にしろっつってそのままにしといたよ。ばばあの家に行かなきゃならないからな。

3 イヌ

 ワンワンワンワンワンワンワンワンワン、ギャン! ワンワンワンワンワン

4 おばあさん

 私ね、死んだんですよ。でも、まさかあの時死んだことが、人を、といいますか、鬼を待たせることになっていたなんて、想像すらしませんでしたよ。悪いことしてしまいましたね。
 あのね、私、霊とかそういうオカルトっていいますか、スピリチュアルっていうのかしら、そういうの全然信じてなかったんですよ。テレビとかでよくやってましたけどね、そんな馬鹿なって鼻で笑ってたんです。でもね、実際あるんですよ、そういうの。だって、実際、私、亡くなった瞬間に体を抜け出したらしくて、気付いたら部屋に浮いていたんですもの。見下ろすと、おじいさんが死んだ私の肩を揺すって、それはもう半狂乱になってるところでした。「じいさんやー」って呼んでも聞こえてないみたいだし、見えてないみたい。これって霊とか魂ってやつですよね。
 それから、誰にも気付かれることなくずっと部屋にふわふわ浮いていたわけですから、あの日のことも覚えてますよ。
 やたら乱暴に引き戸が叩かれたんです。ドンドンって。おじいさんが戸を開けると、そこにはサルとキジとイヌと鬼みたいなでかい男がいました。
 「なんだい、やかましいな」
 「あの、突然すいません。おばあさ」
 「ばばあいるか?」
 どこかで見かけたことがあると思っていたら、このサル、畑泥棒じゃないですか。「泥棒!」って思わず叫んでしまいましたが、誰にも聞こえないんでしたね。
 「人のばばあをばばあとは何事じゃ!」
 「うるせえ、ばばあはばばあだろうが。お前のばばあはじじいなのか」
 「なんじゃとこのやろう。じじいはわしで、わしのばばあはじじいじゃない」
 「まあまあふたりとも」と仲裁したのが鬼みたいなでかい男でした。「確かにあなたのばばあはばばあであって、じじいじゃない。私たちがお尋ねしているのは、あなたのばばあとしてのばばあはいらっしゃいますかということであって、じじいとしてのばばあが」
 「じじいとかばばあとか!」
 ものすごく怒ってましたよ、おじいさん。
 「まあまあふたりとも」とそれを仲裁したのはキジでした。「おばあさんいます?」
 私が死んだことを知ると、それは皆さんたいそう驚いていましたよ。
 「何で」と誰かが言いました。何でって、そんな理由なんか訊かなくていいのに。
 「入れ歯がな、喉に詰まったんじゃ」
 「入れ歯」それを聞くと、皆さん、私が死んだって聞いたときと同じくらいびっくりしていましたね。だって、入れ歯を喉に詰まらすなんて、聞いたことないですから。少なくとも私は。
 「あのときインプラント治療にしておけば、こんなことにはならなかったのに。なんで入れ歯なんか。だからわしはインプラントにしとけって、あれほど」
 「てことは、川に洗濯には」
 「それ以来、行ってないな」
 「てことは、桃は」
 「桃? なんじゃそら」
 事の経緯を聞いて、わかりましたよ。ある日、私が川へ洗濯に行って、大きな桃を拾ってくれば、その鬼みたいなでかい男、いや、それはまさに鬼なんですが、その方をこんなにも待たせることにはならなかった。その大きな桃から生まれたなんとかって人が、鬼と出会うことになってたんですから。もしかしたら、あと一日、入れ歯が喉に詰まるのが遅ければ、鬼を失望させることにはならなかったかもしれないんです。なんてことでしょう。
 「ああ、ばあさんを亡くしてしまって、一体誰が川に洗濯に行けばいいんじゃ」
 おじいさんは、部屋の隅に山積みになった洗濯物を一瞥しました。私が亡くなったせいで、おじいさんにも迷惑をかけてしまったんだわ。
 「あなたが行けば」
 「わしは山に芝刈りじゃろうが!」
 なぜかすごく怒ってましたね、おじいさん。

5 釣り竿を持った男

 いないんすよ、どこ探しても。それらしきところはひと通り見てみたんすけどね。ガセネタのはずないんすよ。必ずどこかにはいる。それを見つけられない僕が悪いんすよ。視力はいいほうですけどね。いるってわかってるのに見つからないのってもどかしいっすよね。ウォーリーを探せって知ってます? あんな感じ。
 懸命に探しましたよ、もちろん。ずっと探してたんすから。「一つの真理は千の挑戦によって形成される」って知ってます? 知らないすよね。だって、今、思いついたんすから。それにしても全然。収穫なし。だんだん疲れてきてね、お腹もすいてきたなー、なんて考え始めた時ですよ、あいつらに会ったのは。そのへんの川辺でしたね。
 なんか鬼みたいにでかい男がでかい声で嘆いてたみたいで、それが聞こえたんす。
 「だって、ずっと待ってたんだ。来るって聞いてたから、そりゃ、風の噂を鵜呑みにした私も悪いかもしれないが、待ってたんだよ。待ってる間は、仕事も手につかなかったし、食事も喉を通らなかった。眠れない夜もあったさ。でも、いつか来るって信じてたから、それだけを光に暮らしてきたんだ。でも、とうとうその希望は打ち砕かれた。なんだ、こんな人生、報われないじゃないか」とかそんなこと言ってたような。で、イヌみたいなやつが、「ワンワンワンワンワン」って慰めてましたね。
 「でもさ、ばばあが死んでよかったじゃないか」
 「死んだからこうなったんだろ」
 ボスザルみたいなやつはがさつで、鳥みたいなやつは冷静でしたね。
 何か手掛かりはないかと思って、話しかけたんすよ。
 「あのー、亀、見ませんでした?」
 「亀?」
 「ええ、確か、ここのへんで亀を助けることになってたんですが」
 「亀を?」
 「子供たちにいじめられている亀を。やたらでかい亀。全然見当たらなくって」
 「見てないけど」
 やっぱり収穫なしだ。運に見放されたんだなって思いましたね。するとですね、今度は鳥みたいなやつが尋ねてきたんす。
 「ちなみにあなた、桃、見ませんでした?」
 「桃?」
 どうやら連中は、桃を探してるみたいでしたね。見つからない者同士が偶然出会うなんて、皮肉だなって思いましたよ。巡り会いの神様はちゃんと仕事をしてほしいもんすよ。
 「信じられないほどでかい桃がこのへんを流れて行ったはずなんですが」
 「見てないですね、武藤さん」
 「なんであんたが間違えるんだ」
 あの鳥、なんかすごく怒ってましたよ。いや、なんか武藤って感じだったから、つい口に出ちゃったんすよ。悪気は全然なかったんす。「君がそれを武藤だと思ったら、そいつは武藤に違いない。たとえそれが武藤ではなかったとしても」って知ってます? 知らないすよね。だって、今、考えたんすから。   

6 おじいさん

 嫌な予感はしてたんじゃ。具体的なものではなくて、何かぼんやりとな。そのぼんやりがはっきりとした形になったときには、それはもう稲妻が落ちたかのような衝撃に襲われたよ。
 いつかこういう日が来ることはわかっていたが、ほら、子供の頃って永遠に大人になる日なんか来ないって気がするじゃろ、でも、確実に大人にはなってしまうし、確実にパンツは底をつく。そう、わしは明日履くパンツがないことに気付いたんじゃ。きつねにつままれた気持ちってのは、このことかのう。
 たしかばあさんは、川で洗濯をしていたはずじゃ。積もり積もった洗濯物をでかい籠に入れ、即座にその場所へ向かった。明日への希望の次に大切なのは、明日のパンツじゃからな。
 川辺には、さっきの連中と釣り竿を持った男が佇んでおった。何か議論でもしとるようじゃったが、構わずに少し遠いところから「おーい」と声をかけた。明日のパンツの重要性に比べれば、全ての議論は机上の空論に等しい。
 「洗濯って、じゃばじゃばやればいいのか?」と訊いてみた。
 「洗濯?」
 「洗濯じゃ、洗濯。大変なんじゃ」
 「そんなもん、水にぴゃーっとやっとけばいいんだろ」サルがそう言った。
 「ぴゃーっとか」
 「そう、ぴゃーっとだ」
 ぴゃーっとの意味がよくわからんかったが、わしは洗濯には無知じゃ。ぴゃーとって言うならぴゃーっとやる他なかった。ので、川に衣類を浸して、ぴゃーっとやってみた。
 「ちがうちがう、もっとごしごしするんだ」
 「だって、さっき、ぴゃーっとって」
 「襟周りはごしごしだろうが」
 各部位によって、洗い方が違うんじゃな。初めからそういってくれればいいのにな。まあ、文句を言えた立場ではない。
 「そうそう、……おいおい、その部分はきゅいんきゅいんするんだ」
 「きゅいん?」
 「きゅいんきゅいんだ」
 わしは洗った。一心不乱に洗ったんじゃ。明日を快く迎えるためじゃからな。
 「うまくなってきたぞ、じじい。ほら、もうこんなにきれいだ。そもそも洗濯の歴史ってのは古くてだな、驚くべきことに我々動物が洗濯を必要とし始めたときから行われたんだ。従って、洗濯を必要としなかったときにはまだ洗濯は行われてはおらず、洗濯という概念は、洗濯を必要とし始め、それを実行したときから発生したということだ。洗濯っていうのは、洗濯を必要としたからこそ誕生した行為だ。それはなぜか。簡単に言ってしまえば、洗濯が要請されたからだ。洗濯は、洗濯を必要としたという裏打ちがあってこその洗濯なんだ。そもそもその歴史は古くてだな、驚くべきことに我々動物が洗濯を必要とし始めたときから行われ……」
 サルがなんかぶつぶつ言っておったが、話半分で、わしは洗濯をしていた。
 突然イヌが、川下に向かって吠えだしたんじゃ。

 7 亀

 やっぱりこういうことって、いけないと思って。倫理っていうよりも、罪悪感ですよね。自分自身に対して苦しかったんです。お前は罪人なんだって自分の中の自分が言うんです。誰に会っても、お前の本性はわかってるぞって言われてる気がするんです。世界中に見放された感覚っていうんですか。いや、それは被害妄想みたいなものだってわかってるんですが、罪の意識がそうさせるんです。自分自身に見放されることほど悲しいことはないって思いましたね。よく、自ら罰を受けに行くなんて馬鹿げてるって世間では言われますけど、自首するやつらの気持ちがわかった気がしましたよ。苦しくて仕方ない。だから僕はその日、行ったんです。
 川上に向かって泳ぐのって、あれ、大変ですね。逆流するわけですからね。水の力ってのはすごいなーって改めて思いましたよ。もうすぐ上陸ってところで、イヌがこっちに向かって吠えてるのに気付きました。ワンワンワンって。イヌにまで責められるのかってげんなりしましたけど、そんなこと言ってても始まらない。構わずに、泳ぎ続けて川辺にあがりました。
 陸に上がって気付いたんですが、おじいさんが川の水で衣類を洗ってましたね。いやー、いきなりかよって思いました。僕のプランでは、おじいさんの家に行ってきちんと謝ろうって思ってたんですから。だけど、いきなりの対面。早すぎるだろって。しかもその場には、鳥だのサルだの鬼みたいなやつだの、やたら部外者がいたんですから。僕が被告だとすれば、おじいさんは原告で、こいつらは検察かって。
 上陸して迎えてきたのは、相変わらずのイヌの咆哮と、釣り竿を持った男でした。男は「探したよー」とか言ってやけに喜んでましたけど、知らないやつでした。人違いでしょうか。まして、僕が背中に乗せた木箱を見つけるなり、「しかも、お土産まで持ってきて、一石二鳥ってのはこのことだな」と浮かれてましたね。残念ながら、これはあんたのためのものじゃないんだ。
 イヌが鼻をくんくんさせながら寄ってきました。そして、木箱を匂うなり、また吠え始めたんです。残念ながら、これはあんたのためのものでもないんだ。
 「え、何? それ、匂うの?」言いながら興味津々なのはサルです。イヌはワンワン吠えます。サルはあっという間に箱をぶん取ると、開けようとしました。
 「おい、こら、やめろ」と言ったのは、僕と釣り竿を持った男でした。しかし、その動機は違っていたようです。釣り竿の男は「それを開けたら、大変なことになるぞ。やめるんだ。いきなり老後を迎えたいのか」とわけのわからないことを言っていたのに対し、僕は「それはあんたのためのものじゃないんだ」と主張したからです。声が小さかったのか、聞こえていなかったようですが。
 「いいだろ、開けても」
 「やめるんだばかやろう」と釣り竿の男は必死です。僕ももちろん、必死でした。これをおじいさんに渡さなければ、罪滅ぼしは雲散霧消です。
 しかしながら、サルは開けてしまいました。
 サルとキジとイヌが箱の中身を覗き込もうとするのに対し、釣り竿の男は身構えていました。
 「きびだんごだ!」サルとキジは中身を見るなりなぜか嬉々として叫び、イヌもしっぽを振って嬉しそうでした。釣り竿の男の「え?」と意外そうな間抜けな声が聞こえました。鳥とサルとイヌは、勝手にきびだんごを、ちょうど3つありましたので、それぞれ美味しそうに食べてしまいました。
 「何か忘れてると思ってたんだ、きびだんごだよな」
 「なんだかやっと巡り会えた感じだよ」
 「ワンワンワン」
 それぞれは安堵したように勝手な感想を言い合うと、茫然とする僕に向かって言ったのです。
 「お供します」
 よくわかりませんでした。というか、何も考えられなかったのです。
 あれは、昨日のことでした。僕、狩りが苦手なんです。魚を捕らえようとしても、なんだかかわいそうで、捕まえられないんですよね。心に隙があると、やっぱりうまくいかないんです。もう何日も何も食べてなくて、かなり空腹でした。空腹で死にそうってあるんですね。そのときの僕がそれでした。背に腹は代えられない。意味はよくわかんないけど。つまり、夜におじいさんの家に強盗に入ったんです。おじいさんは寝てましたね。で、台所にあったきびだんごを4つ強奪し、ひとつは食べたけど、罪悪感にさいなまれて残りは返しにきたんです。
 「ね、お供しますよ。どこ行くんだい?」
 やつらは勝手に食べておいて、勝手に騒ぎ立てているんです。殆ど絶望的な気分です。おじいさんにきびだんごを返すことができなかった。この先ずっと罪悪感に駆られて生きていかなければならないのか。亀は万年なんて言いますから、かなり長い。おじいさんはずっと洗濯に夢中で、こちらになんて見向きもしません。
 こんなところには、もはやいる意味はない。去ろうと歩いていくと、「お供しますってばー」と言ってサルとキジとイヌがついてきました。イヌは「くぅーん」なんて言って甘えた声を出していましたね。釣り竿を持った男も、「ほら、子供とかにいじめられたら大変だろ。ボディーガードとしてついていくよ」とか理屈をこねてついてきました。
 面倒なやつらだなと思いましたが、叱るのもそれはそれで面倒だったので、そのままにしておいたんです。ずっとついてきましたね、やつらは。

8 鬼

 「ねえ」と彼らの背中に声をかけました。「僕は、どうすれば」
 振り向いた彼らの目は、何て言うんでしょう、無機質で、こちらに視線はあるけど何も見ていないような、そう感じました。「ああ、いたっけ? どうでもいいけど」と、口にはしないけれど、雰囲気はそんな感じです。
 「そのうち戻ってくるよ」と、その中の誰かが言いました。誰でもいいんです。その言葉に皆が賛同しているらしいということが重要なのですから。
 「そのうち」と自分に問うようにつぶやいて、亀に導かれるようにして去っていく彼らを、立ち尽くして眺めてました。僕とおじいさんがその場に残されました。
 やがておじいさんは洗濯を終えて、木に洗濯物を干し始めました。することもないのでそれを手伝うと、「おお、すまんね」と声をかけてくれました。
 「で、君はどうするんだい?」とおじいさんが尋ねてきました。
 「僕は」と言いかけて、気付きました。僕はどうすればいいのでしょうか。「僕は、待っています」
 「待つって、何を」
 何を待っていたんだっけ。わからなくなっていました。
 「君はしばらくここにいるのかい」
 「そうですね、とりあえず」
 「そうかい。じゃあ、洗濯物を見張っててくれないか。風でも吹いて飛ばされたら、せっかく洗濯した意味がないからな」
 「はあ」
 「しばらく待っててくれ。用を済ませて、いつか戻ってくるから」と言って、おじいさんも去っていきました。
 ひとりになると、考え事をしてしまうものです。彼らは「そのうち」と言い、おじいさんは「しばらく」とか「いつか」とか言いましたが、それは「ずっと」よりも短いんでしょうか。或いは、長いんでしょうか。そんなことを考えていました。
 川辺に腰を下ろして、川の流れを眺めていました。川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずとナポレオンか誰かが言っていたのを思い出しました。さしあたっての希望は、川の流れだけです。それは常に流動的なのです。川上から、例えば大きな桃みたいなものが流れてきたら僕は救われるかもしれないと、意味もなく空想しましたが、そんなものが流れてくるわけもありません。
 川の流れを眺めているのです。待っているんです。何を待っているのかって? わからないけど、腰を下ろして待っているんですよ。今までもずっと待っていたんですから、これからさらに待つことも、何を待っているのかわからないにしろ、もしかしたら、何か待つものを見つけるために待っているのかもしれないにしろ、それは簡単なことのように思えるんです。


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