ねじ

 ぼくのあたまには、ねじがささっていたのです。

 ずっとむかし、ぼくがまだちいさかったころのことです。
 ぼくはなにをしても、みんなよりじょうずにできませんでした。
 べんきょうをしても、うんどうをしても、おしゃべりをしても、あそんでいても、いつもおいてけぼりでした。
 だけど、それをさみしいとおもったことはありません。
 みんながたのしそうだったから、ぼくもたのしかったのです。

 いつだったかはわすれましたが、だれかがぼくにいったのです。
 「おまえは、あたまのねじがはずれている」
 いみはよくわかりませんでしたけれども、そのひとがとてもきびしいかおをしていたので、そのことばをぼくはずっとおぼえていました。

 あるとき、がっこうからいえにかえってくると、おとうさんがとけいをしゅうりしていました。いまにある、おおきなとけいです。
 おとうさんは、こまったようなひょうじょうで、「ねじがいっぽんないんだ」と、りょうてをゆかにつけて、ときにはあたまもゆかにつけて、ねじをさがしていました。
 ぼくもいっしょにさがしました。
 ぼくは、すぐにねじをみつけました。
 「おとうさん、あったよ」といおうとしたのですが、ぼくはだまって、てのなかにこっそりとねじをしまい、「みつからないね」とうそをつきました。

 じぶんのへやで、ぼくはねじをながめました。ぼくのこゆびのつめくらいのながさで、さきがとがっていました。
 ぼくは、そのとがったぶぶんをあたまのてっぺんにあててみました。すこしいたかったです。
 おとうさんがねじをさがしているうしろをこっそりとおり、どらいばーをもってきました。かがみをみながら、じょうずにどらいばーをあつかい、ねじをくるくるまわし、ぼくはあたまのなかにねじをさしこんでいきました。
 やっぱりすこしいたかったですが、ついにねじはあたまのなかにかんぜんにはいりました。かんぜんにはいると、ぜんぜんいたくありませんでした。
 かがみであたまのてっぺんをみてみると、どらいばーをいれるところだけがみえました。あとでとしょかんでしらべると、ここをねじのあたまというのだそうです。
 ぼくのあたまのてっぺんに、ねじのあたまがみえるのです。なんだかおもしろくて、ぼくはわらいころげました。

 ぼくのあたまにねじがさしこんであるということは、だれにもいわないひみつにするときめました。おとうさんにもおかあさんにもおばあちゃんにもともだちにも、だれにもいわないのです。このことは、ぼくだけがしっているのです。

 そのあとも、ぼくはだれよりもべんきょうができず、うんどうもおしゃべりもあそぶことも、みんなよりへたでした。
 だけど、みんながたのしそうだったから、それでいいのです。
 ねじのおかげで、ぼくがすーぱーまんみたいになることを、ぼくはきたいしてはいませんでしたから、それでいいのです。
 だけど、あいかわらず、ぼくのあたまにはねじがありました。

 がっこうをそつぎょうして、ぼくがこうじょうではたらくようになったころ、ぼくにもあいするひとができました。
 ぼくは、こうじょうでおさいふのぼたんをくくりつけるしごとをしていたのですが、あいこさんもおなじこうじょうではたらいていました。あいこさんは、ぼくがはたらいているところとははなれたところで、いつもつくえにすわって、けいさんきをいそがしくたたいていました。
 ぼくは、あいこさんがけいさんきをゆびでたたくおとがすきでした。おんがくをきくように、ぼくはそのおとがとてもすきでした。あいこさんがけいさんしているのをみるのも、すきでした。なんだか、こういうふうにいうとあいこさんにおこられるかもしれないのですが、かっこよかったのです。

 あいこさんとてをつなぐと、とてもどきどきしました。ふたりきりでいるだけで、しんぞうのおとがきこえてくるようでした。
 ぼくはあいこさんとふたりきりでいるのがすきでしたし、あいこさんもぼくとふたりきりですごすことがすきなようでした。
 ぼくたちは、おやすみのひは、いつもいっしょにいました。ときには、うみにいったり、もみじをみたり、ゆきだるまをつくったりしました。

 ゆきだるまをつくったあと、ふたりですとーぶのまえであたたまっていると、あいこさんはいいました。
 「あたまのねじ、いたいたしいから、とりましょう」
 あいこさんは、ねじにきづいていたのです。
 「いたくないよ」
 「そうじゃなくて、わたしが、あたまにささったねじをみてるのが、いたいの」
 「でも、いたくないんだ」
 「ねじをみてると、しんぱいになっちゃうの。しんぱいで、なきそうになっちゃうの」
 ぼくは、あいこさんをなかせたくありませんでした。
 「そうだね。こんなねじ、とってしまおう」
 あいこさんは、ていねいにどらいばーをあつかって、「いたくない」とぼくになんどもききながら、ねじをぬいていきました。すこしだけいたかったですが、とれてしまえば、ぜんぜんいたくありませんでした。
 「とれたよ」
 「とれたね」
 「だいじょうぶ?」
 「だいじょうぶだよ」
 それからぼくたちは、また、ゆきがっせんをしたり、おはなみをしたりしました。ぼくたちは、ずっといっしょでした。

 だけど、またいっしょにうみにいくことはありませんでした。  あいこさんは、ぼくからはなれてしまいました。たぶん、たいくつになったのだとおもいます。
 さよならをするときに、ぼくはあいこさんに、ぼくのあたまにささっていたねじをあげようとしましたが、あいこさんは、それをことわりました。ねじは、ぼくのてもとにのこりました。
 それからぼくたちは、ふたりきりであうことはありませんでした。

 ぼくは、ねじをすててしまおうとおもって、あいこさんといったうみに、ひとりでいきました。とてもかなしいきぶんなのに、たいようがよくみえて、とてもあつかったです。
 ぼくは、うみをみつめていました。ねじをにぎりしめながら、しばらくそのばにたっていました。
 そのうち、たいようがやまにかくれてしまいました。あんなにあつかったのに、いつのまにかすずしくなっていました。ぼくのまわりは、まっくらになっていました。
 ぼくはけっきょく、ねじをうみになげすてることができませんでした。
 ねじがささっていたあたまのあなは、とうのむかしにふさいでいましたが、しおかぜがしみたようなきがしました。

 いえにかえってきてから、ねじをみつめながらすわりこんでいました。ずっと、そうしていました。
 そして、またなきました。あいこさんとはなれてから、ぼくはないてばかりいるのです。
 ねじをあたまにもどせば、なみだがとまるかもしれないとかんがえましたが、そうはしませんでした。ぼくは、そのままないていました。

 ひとしきりないたあと、ぼくはまどをあけました。
 もみじのにおいがしたようなきがしました。

 また、なきそうになりました。
 もういちどねじをあたまにもどせば、さみしくなくなるかもしれないとかんがえました。だけど、そのかんがえはまちがっているようなきがしました。
 あたまにねじがなくてもぼくがだいじょうぶだったのとおなじように、あいこさんがいなくてもぼくはだいじょうぶなのかもしれないとおもいました。
 なんとなくですが、そうおもったのです。

 ぼくは、ねじをつくえにしまいました。
 そして、めをつぶりました。
 めのうらがわには、きれいなもみじがうつっていました。そのもみじを、こころゆくまでみつめていました。


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