「バーン」の啓蒙

男子生徒は、左手の小指と薬指を吹き飛ばされて重傷

 15日午前8時20分ごろ、埼玉県日高市梅原の市立高麗中学で、3年生の男子生徒(15)が、教室でシャープペンシルの芯を入れるプラスチックケースに、火薬を詰めて遊んでいたところ、火薬が「バーン」という音とともに爆発した。

 男子生徒は、左手の小指と薬指を吹き飛ばされて重傷。
 生徒7人が耳鳴りを訴え、病院で診察を受けた。
 (以下略)

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 たまたま見かけたニュースだ。
 この記事からまずわかることは、以下のことである。

 ――火薬が爆発すると、「バーン」という音がする。

 「火薬が「バーン」という音とともに爆発した」と書いてあるのである。
 わざわざ、「バーン」と書いてある。
 こういった類の記事は、わかりやすさを基本としている。読んだ誰もがわかり、理解できる書かれ方をしているのだ。
 だからといって、わざわざ「バーン」をいう擬音語を書き起こす必要があったのだろうか。
 その方法に従って記事を書き直すなら、このようになるだろう。

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 15日午前8時20分ごろ、埼玉県日高市梅原の市立高麗中学で、3年生の男子生徒(15)が、教室でシャープペンシルの芯を入れるプラスチックケースに、「ぎゅっぎゅっ」と火薬を詰めて「ぎゃあぎゃあ」と遊んでいたところ、火薬が「バーン」という音とともに爆発した。

 男子生徒は、左手の小指と薬指を吹き飛ばされて重傷。
 生徒7人が「あー、なんか耳鳴りするんだけどー」と耳鳴りを訴え、病院で診察を受けた。

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 だが、実際には、記事はそうは書かれていない。
 なぜか。
 先にも書いた通り、ニュースの記事というのは、誰もがわかりやすいように、読者の頭に浮かぶ疑問符がなるべく少なくなるように、書かれている。
 従って、こう考えることができる。

 ――火薬が爆発すると「バーン」という音がするということを知らない者がいる。

 そういった読者のために、丁寧にも、火薬が爆発した際の音として「バーン」と添えられていたのであろう。ニュース配信社の繊細な心遣いが垣間見える。

 だが、こういった反論もある。

 ――火薬が爆発すると「バーン」という音が伴うことを、知らない者などいるわけがない。

 あるいは、

 ――確かに、火薬が爆発すると「バーン」という音がするのだろうが、そんなことはどうでもいい。

 両者の意見共に頷ける。確かにそうなのだ。火薬が爆発する音を知らない者などいるわけがないし、増して、そんなことは我々にとってどうでもいいことなのだ。
 だが、ニュース配信社は、わざわざ「バーン」と付け添えた。
 どういうことなのだろう。

 恐らくそれは、男子生徒たちの被害状況をみればわかる。
 「バーン」は、火薬と関連付けられたただの音として捉えられるべきものではなく、つまり、爆発の程度を示すものだったのだ。
 つまり、こうである。

 ――「バーン」という音を立てて火薬が爆発したら、少なくとも、それを扱っていた者の薬指と小指を吹き飛ばし、付近に存在した者たちに耳鳴りをもたらす程度の威力がある。

 これが、この記事から啓蒙されるべきことである。

 これは、覚えておいて損はない。
 蒙昧な一般民が、火薬が爆発したと思しき「バーン」という音を実際に耳にしたら、「あ、火薬だ」と思うだけに留まるのに対し、記事の真意を理解した者は、「あ、誰かの薬指がふっ飛んだかもしれないな」とか「周りにいた人たちは耳鳴りがしてるんだろうなぁ」とか思うことができるのだ。
 そして、「ドーン」という音を耳にしたら、一般民は、「何だ何だ」とうろたえるだけなのに対し、記事の真意を理解した者は、「ああ、死者が出たかもしれないな」と冷静に思いをめぐらせることが可能なのである。
 人間としての大きな進歩であると、僕は考える。


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