電話との会話の仕方

序文

 20世紀後半に爆発的に普及し、現代においては欠かせないツールとなっている電話であるが、これは言うまでもなく、遠隔地にいる者と会話ができるという点が唯一にして最大の利点であり、現在、電話での会話の仕方を知らない者はいない。電話を所有しており、相手の電話番号を知っており、あるいは相手が自分の電話番号を知っており、電話のかけ方を心得ており、声を発することができ、会話ができる者であれば、誰でも電話で会話ができる。
 この「電話での会話の仕方」に対して、「電話との会話の仕方」はあまり知られていない。

基本的な考え方

 「電話との会話の仕方」は非常に簡単である。それは、電話がありさえすれば誰でもできるという物理的側面からもそうであると言えるし、また、精神的側面からも然りである。この精神的側面からの簡易さを支えるものとして、「電話で会話をしている者」と「電話と会話をしている者」の違いを外見で区別することが非常に困難であるという点が挙げられる。受話器を耳に当てて何らかの声を発すれば、その者はもはや一般人の目には「電話で会話をしている者」と映るのであり、たとえ彼が「電話と会話をしている者」であったとしても、会話をしている当人は恥らうにしかることは皆無であるのだ。
 一般的には、会話をいうものは人間とするものであり、「空気と会話する男」が精神病院に連行されてしまうように、人以外のものと会話をする者に対しては即座に冷ややかな視線が向けられ、世間の風当たりの冷たさを真正面から受け止めることとなる。「正常な理性を持っているが、どうしても人以外の何物かと会話がしたい」と思っている者にとって、これは大きな痛手である。よって、彼らは精神異常者と見られないために、その欲求を胸の内に無理矢理に押し込んで、仕方なく人間と会話をするか、一人になったときのみに何らかの物体と会話をするしかなかったのである。特に、家庭を持ってしまった社会人などでこのような会話欲の傾向のある者は絶望的であるとしか言いようがない。よく、トイレに新聞を持ち込んでずっと出てこない父親がいるが、それは数少ない一人になれる時間に、「新聞との会話」に没頭しているのだという説もあるほどなのだ。
 しかし、このような閉塞状態が、電話の登場によって救われたのである。外見的には、当然、「電話で会話している者」は会話をしている相手が目の前にいないにも関わらず、一人で電話に向かって何事かを話し掛けているのであり、それに対して、電話自体と会話を嗜む「電話と会話をしている者」も、同じ格好をして、それらしく会話をしているように振る舞えば、誰しもに「電話で会話をしている者」とみなされるのだ。つまり、電話に限っては、堂々と人間以外のものそれ自体と会話ができるのである。これは「電話」というものの性質をうまく利用して、物体と会話をすることをカムフラージュする方法であり、もはや完璧すぎて言葉も出ないほどである。
 そして、以上のことからもわかるように、「電話との会話」は、電話が全く誰とも電波が繋がっていない状態で受話器を耳に当て、何らかの言葉を発すればもはや実践できていると見なしていいのである。

実践編

 知っての通り、現在では携帯電話が爆発的に普及したが、それにより「電話と会話をする者」たちにも恩恵がもたらされた。それは、どこででも会話ができるようになったという点が限りなく喜ばしいことなのは当然なのだが、彼らはその利点を一歩前進させて、新しい嗜み方を発案したのである。すなわち、「電話との会話を見せびらかす」ことである。この際の力点の置き方は、「電話との」ではなく、「会話」である。つまり、正確に言えば、「電話で会話しているように装って、会話自体を見せびらかす」ということだ。
 例えば、人が比較的多く、雑然としている場所で、おもむろに携帯電話を耳に当て、やかましい声で、「おー、どうした? ……今から!? マジかよ。もっと早く言えよ。で、どこ? あー、近いわ。10分くらいで着くかな。……ああ、わかったわかった。じゃあ、今から行くわ」などと言っている者がいたとする。実は彼は「電話で」会話をしていたのではなく、「電話と」会話をしていたのだが、誰もが彼が「電話で」会話をしていたことを疑うはずはないばかりか、聞き耳を立てていた者の中には「あいつには急に呼び出しをかけられるほどの友達がいるんだな」などと思う者も少なからずいるはずなのである。これが狙いなのだ。つまり、不特定多数の人々の前で、誰かと会話をしている風を装って、「電話と」会話をすることにより、「電話との会話」が楽しめるばかりか、彼は自分以外の、あるいは自分以上の何者かになることができるのである。その会話の当人には実際は友人が一人もいなかったとしても、そんなことは誰も気づかない。彼は「急に友達から呼び出しがかかる人」という印象をその場において勝ち取ることができるのだ。
 「それが一体何の役に立つのか」といった疑問が出てくるのは当然である。これを「人間関係が空疎化した現代の病」というテーマで語ることもできるが、それはこの文章の本意ではないのであり、ここでせいぜい言及できるとすれば、「人の趣味というものはわからないものだ」という程度に留まらざるを得ない。しかしながら、いずれにしても、以上のような効果が期待できるのは確実なのである。

応用編

 会話をする相手を当人が自由に選択できるという点も「電話との会話」の最大の魅力である。周囲の者たちにとっては、電話を片手に会話をしている者が誰と会話していようと関係ないし、第一、会話の相手が誰であるのかわからないのであるから、これを逆手に取ることにより、受話器を耳に当てさえすれば、誰とでも会話が可能になるということが言える。もちろん、特定の人物を設定せずに、なんとなく、「うん、あー、そうなの? 知らなかった。で、……ああ、それね。うん、わかるわかる」などと適当に電話相手に相づちを打つのも一興であるが、せっかくなのだから、誰か特定の人物と会話をしている風を自ら演出し、それを周囲に見せびらかすダイナミズムも体感するべきである。会話の相手は誰でもいいのであり、叶わなかった初恋の人と喋ってみたり、亡くなった親族と思い出を語ってみたりして、ノスタルジーに浸るもよし、「電話で」いつでも会話のできる親友と敢えて「電話と」会話してみるという全く何の意味があるのかわからないことを試してみるもよし、視線を未来に向けて、10年後の自分と近況について語り合うもよし、それらに退屈した者は、キリンとコミュニケーションを取ってみるもよし、異星人と交信するもよし、まさに可能性は無限にあるのだ。
 当然、電話は通話状態ではなく、「電話と」会話をしているのであるから、自分で喋りつつも、相手が話してくる言葉も同時に自ら考えなければならないのであるが、そのような裏事情は気にするに値しない。重要なのは「会話」を達成することなのであり、自己満足を得て、不特定多数の周囲の者に「あいつは電話で誰かと会話をしているんだな」と疑う余地なく思わせることができれば、目的は達成されているのである。

留意すべき点

 「電話との会話」は誰にでも気軽にでき、電話というツールの有用性を最大限に活かし切った方法でもあるので、大衆的でありながら、失敗する可能性は非常に低い。また、携帯電話の普及がもたらした恩恵を利用しない手はないので、是非、外で、しかも人が割と多くいる場所で行うことが推薦される。会話中に何だか自分に対して気まずくなったり、恥ずかしくなったりした場合は、「じゃあね」とでも電話に言って、それを仕舞ってその場を去ってしまえばいいのである。そして、また会話をしたくなったら、さり気なく取り出して、また空想上の誰かと何事かを会話すれば良い。こんなに簡単なことは滅多にないと言っていいだろう。
 ちなみに、留意すべき点は、電源を切っておくことである。通話しているはずの電話の着信音が鳴ることほど間抜けなことはないのだ。

街に出て、携帯電話を耳に当てて何やら喋っている者がいたら、少しは気に留めておいたほうがいい。その者はもしかしたら「電話と」会話をしているのかもしれないのだ。


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