面接で退屈しない方法

面接は退屈である

 人は緊張しているときには最も退屈しないらしいが、面接は概ね退屈なものである。その面接において最善の結果を得るために、大抵の向上心のある者は、その問答のあらゆる内容について予測し、対策を万全に練り、面接官とのやりとりについて脳内でシミュレーションを繰り返して、「何を訊かれてもバッチリ」という領域にまで己を高めてから、勇み足で面接会場へと向かうのだが、これがその面接を退屈たらしめる根源なのである。すなわち、志望動機を問われれば、予め組み立てておいた当り障りのない回答をそのまま暗唱するのであり、自己PRを問われれば、同様にして脳内のしかるべき原稿をただ読み上げるのであり、「感銘を受けた本は?」と問われれば、「『ワンピース』です」などとは当然答えず、「『五体不満足』です」とその面接のためだけに仕方なく読んだ書籍の名前を条件反射のように挙げるのだ。
 予め覚えてきたものを棒読みさながらにそのまま発表するだけの面接など、それを聞かされる面接官にとっても、まして面接を受けている張本人ですら退屈であるに決まっている。もちろん、このような堕落した事態に陥らないために、面接官は「不意打ち」のような問いを用意することもあるが、面接を受ける者もそれを見落としながら対策を練るほど馬鹿ではないので、どんなに意外な「不意打ち」を用意したところで、状況はたいして変わらないのが現状なのである。

退屈な人生と決別しよう

 我々は、言うまでもなく、退屈するために生まれてきたのではない。退屈は決して悪ではないが、我々の人生を退廃的にする要素のひとつであるとは言える。
 人はなるべくなら退屈ではないようがよい。適度の退屈ならまだしも、大抵の者は退屈が過剰になりがちである。このような事態が続くとなれば、ひとつの現象としての「退屈」から、その者の人生を取り巻く問題に発展してしまう。すなわち、「退屈な人生」を全うするに甘んじることにもなるということである。「退屈な人生」ほど堕落し切っており、非人間的な活動はない。
 人間は、理性によって自らの歩む道をコントロールすることができるが、当然に、「退屈な人生」から主体的に脱却する能力があるのである。我々がこれ以上堕落しないためには、その道を選択し、それを勝ち取ることが要請される。多くのネアカパンクバンドが「君の人生は君のものだ」などと歌っているのを耳にするが、これは「退屈な人生」との決別を促すべく歌われているメッセージなのである。

 面接は人生の岐路において訪れる。高校受験や就職活動など、我々の歩むべき道の分岐点にそれは存在するのである。「退屈な人生」から抜け出そうとしている者にとって、あるいは「退屈な人生」を避けようとしている者にとって、これを利用しない手はない。自分の人生の方向性を確定するための関門において、華々しく「退屈」に三行半を叩き付けることができるのである。これを絶好の機会と言わずして何と言おうか。
 しかし、人は大概にして前述の通り、「退屈な面接」を選びがちでなのあり、これは残念なことだ。

面接にスリルを

 面接を退屈なものにしないためには、面接おけるスリルが要求される。練りに練った対策をそのまま暗唱することの中には、スリリングな要素などは微塵もない。すなわち、そのような事態に堕しないためには、対策を練らない、いわゆる「ノープラン」で面接に挑むことが策として挙げられる。これにより、面接に「ぶっつけ本番」状態で臨むことができ、面接官のひとつの問いに対して、必要以上に焦ることができ、脳をフル回転させることができ、なんとか回答しながらも、次にはどんなことが質問されるのだろうとわくわくすることができるのである。
 しかし、人というものは過剰に賢いために、予測することができ、また、向上心も思いの外に高いために、どうしても少なからず対策を練ってしまうものなのだ。これは我々が人間である限りは致し方ないことだ。人間という高貴な生き物であるために、我々は積極的に面接を受ける可能性を失ってしまったことになるのである。

面接をスリリングにするために

 そこで、画期的な方法として挙げられるのは、「嘘を答える」ことである。これは、先日、「ごきげんよう」でおぎやはぎが言っていたように、面接で勝ち残るためにも有効であるし、また、この文章の本意であるところの、面接を緊迫感あるものにするためにも効果的である。「おぎやはぎ」の事例では、彼らは面接中にとっさに機転を利かせて嘘を言ったところ、見事に内定を貰ったということだったが、面接をよりスリリングにするためには、多少の用意が必要である。すなわち、エントリーシートや履歴書を書く段階で、それを嘘で固めることである。もちろん、この嘘はその本人の内実に比して大げさであればあるほどスリルが増すのだが、あまりにも突飛で非現実的なことを書いてしまうと、それが嘘であることを自ら暴露してしまう結果になるばかりか、「頭がおかしい人」という印象を相手方に与えてしまい、最悪の場合、「ES落ち」により面接が受けられないという間抜けなことにもなりかねないので、この手続きは慎重に行わなければいけない。
 この準備段階においてはとっておきの秘策がある。エントリーシートあるいは履歴書を、周囲の友人などに、「これ、適当に埋めておいてくれよ」と手渡し、「自己PR」欄や「志望動機」欄を書いてもらい、しかる後にそれを回収する手である。注意すべきことは、その返却された書類に書かれている内容を見てはいけないことである。何が書かれているのかわからないまま提出し、本番の面接の際に、いきなり面接官に「あなたは、インドネシアに一人で旅行に行ったことがあるそうですが、それによってあなたが得たことや学んだことを聞かせてください」などとありもしないことを訊かれることになるのである。この方法では、全く予期せぬ質問にさらに嘘を重ねて答えることができると共に、面接の段階で初めて「あいつはこんなことを書きやがったんだな」と提出書類に書かれている内容が明らかになるという、まさに「一粒で二度おいしい」濃密な時間を過ごすことができるのである。
 また、「嘘を答える」とはいえ、当然、面接を受ける第一の目的は「受かる」ことであり、「受かる」ための努力は欠かしてはいけない。「嘘を答える」ということは「適当に答える」ということとは違うのであり、真実ではないことを答えつつも、矛盾をさらしてはいけないのである。そのプレッシャーが、一層その面接をスリルに満ちたものにすることであろう。

スリリングな人生

 面接において「対策の暗唱」をすることは、言うまでもなく受け身の態度であり、退屈の極致だが、「どんな質問が飛び出すかわからない」面接において、「嘘を答える」ことにより、ゲーム感覚で面接を楽しむこともできるばかりか、「嘘がばれるかもしれない」というスリルを味わうこともでき、「次はどんな嘘を言ってやろうか」と思案することで面接に対する積極性が生まれ、加えて、いかなる質問に対しても常に無の状態から考えなければならないため、決して退屈することはない。しかも、うまくいけば内定あるいは合格を貰えるのである。
 逆に、その嘘が要因となって不採用や不合格になったとしても、無職・フリーターという極めて不安定な状況に身を置くことができ、これはこれで「スリリングな人生」なのである。


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